Crepuscule



epilogue

「もしもし……ああ、今着いた…………外で待ってる」


______2年後


どこか古風な外観のアパルトマンの前に、白い車が停まっている。運転席に座っているのは背の高い男。長い銀髪を真ん中で分けている。彼は今し方まで会話をしていた携帯電話をしまい、運転席の窓を開けようとしている。かなり古い車なのだろう、手動だ。

古風な、とは言ったがそのアパルトマンは近代的な技術とセキュリティを備えているらしく、エントランスはオートロックになっている。そこから、若い女が小走りに出てきた。服装は清楚な水色のワンピース、かかとの高いハイヒールを履いてはいるが足取りに危うさはない。

「転ぶぞ」

男は車中からからかうような視線と言葉を投げかける。その顔が穏やかなのは、『急がなくていい』という彼女に対する労りがこめられているのだろう。

「あら、支えてくれるんじゃないの?」

女性のほうもからかいには全く反応せず、逆に軽口で応酬している。
銀髪の男性は苦笑しながら助手席のドアを開けてやった。ゆったりとした車内、大きな外観のこの車はフォード・マスタング。かなり年式が古いが手入れはよく行き届いている。困ることといえばラジオしか聞けないことと窓が手動であること、燃費の悪さぐらいではないだろうか。

助手席に身をおさめた彼女は鏡で髪型やアクセサリーを気にしている。走り出した車の窓からは、さわやかな初秋の風が流れ込む。

「ね、窓閉めて。髪が乱れちゃう」
「まだ時間かかるぞ。その時でいいだろ?」
「崩れると直すのに時間かかるのよ。せっかく早起きしてセットしたんだから」
「はいはい」

彼は右手でステアリングを握り、左手で窓を閉める。半分呆れたような、半分は愛おしいものに対するような口調で。

「そう、久しぶりにお店に行ったらね、すっごいことになってたのよ」
「ん?どんな?」
「コウとニナが喧嘩しちゃって、モーラはニナの味方だし、キースはコウをフォローしてあげたいんだけどなにせモーラがいるからね、もー大変!バニングさんは我関せずだしジャクリーヌは面白がって火に油を注ぐようなことばっかり!」
「ジェーンはどっちの味方なんだ?」

彼女の名はジェーン・バーキン。職業はフリーのイラストレーターとして名が通っているが、たまに旧知の仲であるモーラ・バシットの店で働いている。暮らしに困っているわけではないが、家の中にこもりきりの仕事だと気が滅入ると言って、週に少なくとも1日は顔を出している。

「私?ニナの味方よ?だって喧嘩の原因が……」

ジェーンがイラストレーターとしての仕事を始めたきっかけは、劇団アルビオンのパンフレットだった。そのイラストはパンフレットだけに留まらず、公演を観に来た観客からの要望でポスターとしても販売された。その人気が様々な方面に広がり、あるときは音楽アーティストのアルバムジャケットを、あるときは書籍の挿絵を手がけている。来年はとある衣料ブランドとのコラボレーションが企画されており、彼女はここ数日打ち合わせなどであわただしかった。

「あ、バニングさんがね、例の件引き受けてくれるって!シルビアさんもすっごく喜んでくれたの」
「シルビアさん?」
「あれ、アナベルは知らないんだっけ?奥さんよ、よりが戻ったって言ったじゃない」
「ああ、そうか」

彼の名はアナベル・ガトー。先程ジェーンが出てきた(彼女が住んでいるのだが)アパルトマンの外観デザインを手がけたのは他ならぬ彼である。どちらかといえば近代的なビルのデザインばかりしていた彼は運よく舞い込んできた注文を快く引き受けた。ジェーンをはじめかつての住人達にも話を聞き、心から満足のいく仕事が出来たと彼は思っている。そのためか、あの場所に新しくできたアパルトマンは昔の住人でほぼ満室状態となり、発注元のメーカーとも良い関係を結んでいる。

「嬉しいな、夢だったから。叶わないと思ってたけど」
「断られていたら俺の父親がやるとか言ってたからな」
「それが嫌ってわけじゃないんだけどね」
「親父は娘がいないからやりたがってたぞ、バージンロード」
「それは……悪いことしたのかな?」

まさか、と笑いながらガトーは手をひらひら振った。
彼らが向かう先はガトーの両親の住む家。現在別々の家に住んでいる彼らは次の春に式を挙げる。
家で仕事をする職業のジェーンにとっては一人になれる空間が必要だった。一時期は同棲状態だったが、結局今の仕事についてからはアパルトマンへ移った。現在住んでいるそこは、これから彼女のアトリエとしての役目を負うこととなる。

「色々決めないとね……招待状は私が作ってもいい?」
「まかせる、というか得意だろう」
「ん、頑張る。あ、ねえ、お仕事上付き合いのある人ってどのくらい呼ぶのかな?」
「さあ……それこそこれから親父達に聞けばいいんじゃないか?」
「ううー……緊張する……」

ジェーンは両手で頬を包んで不安に駆られていた。

「別にとって喰いやしないだろ。いつもどおりにしてればいい」
「簡単に言うね……」

少しでもリラックスさせようと、ガトーはラジオのチューナーを合わせた。ノイズの合間からピアノの旋律が聴こえる。

「あ、これ聴いたことある、なんだっけ?」

ジェーンが考え込むそぶりを見せる。ガトーにも聞き覚えがあった。

曲名を思い出せないけれど、歌いだしの歌詞はなぜだろう、知っていた。


“私達はまだ、始まったばかり_____”

20080417