冬空



「ヤバイ、寒い、死ぬ」
「もう少し頭がよさそうな言葉使えよ」
「おでん食べたい」

人の話を聞け。なんていうのもバカらしくて俺はブロック塀に腰掛けた。ガコン、と音を立てて自動販売機から落ちてくる缶コーヒーを取り出しながら花子はくしゃみをした。俺は空になった煙草の外装を握りつぶしてポケットをまさぐる。何もない。財布は教室においてきてしまったらしい。ついてない。

「金借りていいか?」
「おでん奢ってくれる?」
「おでんと相殺なら」
「いや、貸した金は返そうよ」
「意味がわからねぇ」
「じゃあ煙草我慢したら?今から教室に財布取りに戻ったら4限が始まっちゃうもんね」

ふふんと鼻を鳴らしながら言う花子に、別に腹が立つでもなく。肉まんだの、からあげくんだの、こいつにはいつも奢らされっぱなしだし。みみっちいことを言うのも悔しいお年頃の俺は、知らぬ間にかっこつけてしまっているらしい。こいつの前だけでは。

「わかったよ。お前貧しいからな……たんとお食べ」
「やったぁ。さすがお父さん。じゃあ“がんも”と“すじ”を十本ずつ」
「それでお前の体はますます起伏にかけるようになるだろうな」
「うっせっつの!セクハラ!!」

身の危険を感じているように腕で体を抱きながら、俺の横から飛びずさる。失礼な女め。
そのまま花子は飲料の自販機に隣接する煙草のそれでキャメルを選び、出てきたそれを俺のほうに投げ渡した。

「ありがたいが、できればセロハンもあけて欲しかった」
「自分で開けなよ」

今度コイツには“いい女の定義”を聞かせてやろうと思う。どうせ、『はぁ!? あたしアンタの彼女とかじゃないし!?』なんて叫ぶのが関の山だろうけど。



***



なんだかんだで、私は火村が煙草を吸っている姿が好きなのだ。それを知られたくないからおでんにこじつけたまでで。

「4限さぼってさぁ、おでん食べようよ」
「俺は優秀だから遠慮する」

火村はライターで煙草に火をつけた。財布は忘れるくせに煙草とライターは持ち歩いているらしい。関節のはっきりした指がとても綺麗だった。綺麗だ。そう思うことがすでに悔しい。

「いつから吸ってんの?」
「さぁ。高校のときはもう吸ってた」
「アンタみたいなのが大学に受かってしかも“優秀”なんて、世の中間違ってるよね」
「言ってろよ」

火村は私に煙を吹きかけた。払うように手をパタパタと動かして、煙から逃れようとする。匂いがつくのは、嫌いなのに。悔しいけれどいつの間にか火村が吸っている煙草すら好きになっているかもしれない。

「コーヒーくれ」
「熱いの、飲めないくせに」
「それだけお前が握ってりゃ少しは冷めるだろ」

火村は私の手からコーヒーをひったくってプルタブを開けた。腹が立つなぁ。
他称フェミニストでスマートな火村って評価、絶対間違ってる。のっちもみい子もレイナも男見る目ないっつの。
私だけ見る目がないとか、そんなわけないし。



***




想像していたより熱いコーヒーを口に含んでも、ほうら見ろ、とか言われるのは癪なので無表情を装った。コーヒーを花子に返して煙草をふかす。

「まだ熱いじゃん」
「平気」
「あ、そ」

きっと見透かされている。授業開始のチャイムが鳴っても俺は煙草を吸い終わってないし、花子はコーヒーを飲み終わらない。次の講義、テキストさえ読んでりゃなんとかなるか。

「おでん食いにいくぞ」
「は?財布は?」
「奢らせてやる」
「意味わかんない。夕飯おごりね」

奢らせてやる、というのは相手にチャンスを与えているだけだということに気づいているんだろう。立ち上がって歩き出す俺もお前も似たもの同士。

「ほら」
「は? 何?」
「手」
「手……?」
「寒いだろーから。つないでやろうか」
「はぁ!? つ、つないでもらうのは火村のほうでしょ」
「何でだよ」
「喫煙者は末端まで血液がいかないから。冷え性」
「そういうことにしてやる」
「こっちの台詞だっての……」

悪態と一緒に吐き出す息も同じ白。

20061002
20120630加筆修正
実は結構気に入ってる話