密室の夏



火村は1時に眠りについて、8時に目を覚ます。

私は10時に眠りについて、18時に目を覚ます。


エアコンの音だけが部屋に響いている。真夜中、3時過ぎ。
とても静かな空間。眠ろうとした私は結局眠れなくて、キッチンの電球の下で本を読んでいる。火村はお構いなしにベッドの上で静かに寝息を立てている。キャメルを拝借したり、たまにトイレに行ったり、何をしても時間の進む速さは遅くて、まだ朝日が彼の人の瞼を開けさせるには程遠い。

キッチンにはエアコンの風が届かない。Tシャツの胸元をパタパタさせながら、ページをめくる。
可愛らしい主人公と、優しい男の人の物語。お互いを思いやって、時々すれ違って、幸せになる、そんな話。
ボサボサの髪を時折梳かしながら、私は本の中に没頭していた。恋人を放っておいて、よくもまあと自分でも思う。物語のように、私は火村にやさしく出来ない。心がけてはいるのだけど、それでも生まれついた性格のためか、素直になることすらできない(その所為にするのもずるいとは思うけれど)。
火村は今、私が隣にいないことを知っているだろうか。たぶん、知っている。

寝ているときも真一文字に結んだ口元。私が眠っているときの火村は、本当に眠っているのだろうか。本当は起きていて、寝ているのは私がいないときか私が眠っているときだけなんじゃないだろうか。そう、本当に眠っているときはだらしなく口を開けて寝ているのだ、きっと。そう思えるくらいに寝顔すら端正で、けれどそれが本当だとしても確かめる術はない。私はその時、眠っているから。
時々、この人は、私の知っている本当のこの人でないのではないかと疑ってしまう。やや明るい窓の外、うっすらと浮かぶ輪郭をなぞりながら隣に滑り込む。

「……ん?」

眠りが浅いのは不幸なのかどうなのか知らないけれど、火村の眠りは浅い。ベッドに登った所為で目を覚ましたらしい。
それを詫びることもなく、私は身を横たえた。火村は目を閉じてまた眠る、口も閉じて。
そう、眠りは浅くともこういうときの寝つきは非常に良い男なのだ。呆れるくらい。間近でも彼の寝息は静かで、眠っているのか眠っていないのか、やっぱりよくわからない。

それでも、寝たフリだとしてもそれを見つめているだけで満たされる。じんわりとしたヒカリのようなものが胸の中に、広がる。

やさしく出来なくても、私はあなたのことを大事に思っているのよ。心の中でそう呟いたとき、火村の大きな左手が、私の右手に乗せられた。見透かされたようで驚いた。寝ているのか寝ていないのか、私の考えていることまでわかっているのかどうなのか。

それに答えがでなくても、いいや。乗せられた掌だけが確かな真実。

重なった掌に滲む汗だって私に幸せを実感させるには十分だった。


「夏、だなあ」

20080620