ソロモン海域でつかまえて!



「サイド3とザビさんち 〜彼女と僕と、時々ザクレロ〜」

 あの血みどろの愛憎劇からはや一週間、ジェーンとガトーはサイド3を訪れていました。





「なんでまたサイド3なんです?」

 ここには連邦の軍人も多数駐留していて、見つかれば自分達は危ないんじゃないか。
 そうガトーは問いただしますが、ジェーンはあっけらかんと、

「ばれなければどうということはない」
「赤い彗星ですか」
「案外、ばれないもんだ。心配するだけ無駄だろう」

 エレカに乗った二人は、もちろん軍服ではありません。見た感じ、デート中のカップルです。
 あ、ある意味これってデートなのかもしれませんね。

「しかし……よくこんなものを調達できましたね」
「言わなかったか?我が財団の力だと」
「いえ、初耳です……財団って?」

 きょとんとした顔のジェーンをちらと見遣るガトー。見つめることができないのは、運転しているのが彼だからです。

「私の実家だ。ロームフェラ財団の名ぐらい聞いたことはあるだろう?」
「え゛っ!?」

 これはびっくり。どこかで聞いたような超有名な財閥です。まかり間違っても変な秘密組織を持っている財団とは別物だそうですが。
 そしてジェーンは考え込むようにしたあと、ためらいがちに付け加えます。

「それとな……まぁ、もう時効だから言ってもいいよな……」
「なんのことです?」
「実は私は軍人なんかではなかったのだ」
「は?」

 しれっと驚愕の事実を口にするジェーンに、思わずガトーは首ごと振り向きます。

「ちょっ!前を見ろ!運転!」
「あ!……それ、どういうことなんですか?」
「うん、ハイスクールを卒業してサイド3の大学に入ったのはいいが、戦争前でまともな授業は受けられなかった」
「はぁ、」
「かといって実家に帰るのも癪だった。それで街をブラブラしていたら、ギレンに声をかけられて……」

 気づいたら官邸で上辺だけの軍務を任され、普段はギレンの猛攻をのらりくらりと交わす日々になっていた。
 以上、ジェーンの告白でした。

「すると……私は軍人でもない人にずっと仕えていたってことですか……」

 長い溜め息をついてガトーはがっくりと肩を落とします。
 が、ジェーンは意に介さず、

「ついでだから言っておこうか」
「はい?」
「私は今年で22だ」
「……」

 これまた驚愕の事実です。
 しかし、先ほどの「ハイスクール卒業後」の話と照らし合わせても、22歳というのは無理があると思いますが……。

「ハイスクールも大学も飛び級で入ったからな。これでも物理学に関しては結構すごいんだぞ、私は」

 兵器開発には多少、貢献したし。
 続けるジェーンの言葉が耳に届いているのかいないのか。ガトーは呆然としたような顔で前を見ているばかりです。

「では私は、年端もいかない民間人の貴方に、顎でこき使われてたんですか……」

 私に言わせれば、「とんでもないレベルの放蕩娘のワガママに国家レベルでつき合わされた」、が正しいと思うんですけどね。

「……伏線は一応張っていたぞ?」
「なんですか伏線って……はぁ……」
「嫌いか?」

 え、と思わず声を上げたガトーは、振り向いた先に不安げな瞳のジェーンを見つけたのでした。

「ウソを吐いていたし、その……私は子供だし、それも生意気な……」
「そんなことはない……です」

 ためらわずに応えたガトーでしたが、その答えにジェーンが顔をほころばせたことには気づきませんでした。
 エレカは次第に住宅街に近づいていきます。

「貴女は、貴女です。変わりませんよ」
「ん……というか、もう敬語も使わなくてもいいけど……」
「そうか、ではそうする」
「適応力早いんだな、ていうかやっぱちょっとむかつく」
「じゃあ慣れるまでは今のままですよ?」
「うん。……あ、そこで停めてくれ」

 キィとブレーキをかけたその場所は、元ジオン軍の兵舎でした。
 懐かしい建物を前に、二人の言葉は少なくなるのですが、

「どうしてまた、ここに?」

 建物に近づいていくジェーンを追いかけるように、ガトーは声をかけつつ足を踏み出します。
 振り向くことなく空を見上げたジェーンは、小さな声で、

「ザクレロが、気になって」
「ザクレロ……あぁ、あの猫ですね。そうか、もう飼い主達はいませんからね……」
「誰か優しい人間に拾われていればいいのだが」
「戦後はここにはいなかったんですか?」
「ああ、私もザクレロもな」

 門の近くまで行くと、立ち入り禁止の札と警備の連邦兵の姿が見えます。
 さすがにここを野放しにしておくほど連邦も間抜けではありません。
 しかたなくエレカに引き返す二人の前を、黒い影が横切っていきました。

「黒猫か……不吉だな」
「!……ガトー、あれ!」

 黒猫が走り去った方に、何匹かの猫の姿が見えます。
 白い猫が一匹、黒い猫が一匹、体の小さな黒猫と白猫がそれぞれ一匹。

「あれは……」

 間違いない。あのふてぶてしい目付きと柔らかな毛並みは、ザクレロです。
 いつのまにか黒いスマートな猫との間に子供をもうけていたようです。

「そうか、幸せなんだな」

 ジェーンが柔らかく笑うと、ザクレロはにゃおんと一声、応えるように鳴き声をあげました。
 駆け寄ってきた黒い子猫の毛並みを舌で舐めてやる、やさしい母猫になっているようです。

「行こう、ガトー」

 ジェーンはガトーの袖を軽く引いてエレカのほうへ歩き出しました。

「いいんですか?」
「私たちがどうこうしていいものじゃない。ザクレロはここで幸せならそれでいいじゃないか」
「……あんなに喧嘩していたのに」
「それはザクレロがお前のことを気に入ったからで……」
「あぁ、そういえばあの時はジェーンが私に焼き餅を……」
「妬いてなんかいない!なんだ!ジェーンって!」
「もう中佐じゃないですから。名前で呼んでもいいでしょう?」
「……いいけど……恥ずかしい」
「慣れますよ、そのうち」

 この二人、出会って早5年が経つというのに未だに初々しいのが面白くもあり、なんだか歯がゆくもありますね。
 エレカに乗り込んだ二人は、なんとなく兵舎の周りを一周してみようということになりました。
 なんだかんだで二人にとってここは思い出の地ですから。

「ん?」

 不意にジェーンの目に入ったのは、兵舎の隣に何故かある教会。そこで今執り行われている結婚式でした。
 それにガトーも気づき、エレカを停めて見物しようとします。教会のすぐ近くに車を寄せると、

「な、なんで停めるんだ?」
「見たいでしょう?」
「べ、別に……見たくなんか……」
「俺は見たいです」
「……じゃあ、しょうがないな!」

 相変らず素直じゃないジェーンに笑いを堪えながら、助手席の向こうの幸せそうなカップルを見つめるガトーでした。
 白いドレスに淡いピンクのブーケ。ジェーンは口で「動きにくそうだ」だの「なんでまたこんなところで」だの文句をぶちぶちたれていますが、どうせジェーンのことです。心の中では憧れと羨望の念が渦巻いてでもいるんでしょう。
 ゆっくりと階段を降りる二人を、参列した人々がライスシャワーで祝福しています。ドアの枠に頬杖をついてぼんやりと眺めているジェーンは、ふと新婦と目があったことに気づきました。すると新婦はいたずらっぽい笑みを浮かべて歩を止めます。
 なんだろう、とジェーンが思ったときには、新婦の手から放たれたブーケが大きく、青空に弧を描いていました。

「あ、え?うそ!?」

 驚きながら、ブーケをキャッチしてしまったジェーン。びっくりしている彼女の耳に、大きな拍手が聞こえてきました。
 式に参列していた客達が、今度はジェーンとガトーを祝福しているのでした。

「(しあわせに)」

 新婦の唇がそう動いているのが、思考の回らないジェーンにも理解できました。

「よかったですね」
「べ、べべべつに!嬉しくなんか!」

 再び動き始めたエレカの助手席でジェーンは文句を垂れますが、両手でしっかりとブーケを握っていては説得力などないに等しいものです。

「憧れとか、ないんですか?」
「ない!」
「それは、残念」
「え?」

 ジェーンがガトーのほうを向くと、彼は一瞬だけ向き直って、

「きっと、似合いますよ。白いドレスが」
「なななななな!」

 蕩けるような笑みにも、言い放たれた台詞にも、顔を赤くさせながらジェーンは口をパクパクと動かすばかり。
 でもそんな頭の中で、何故かイメージとして浮かぶのはタキシード姿のガトーに腕を絡ませながら歩くドレス姿の自分の姿。

「ないないない!無理!」
「ぶっ……そんなに、否定しなくても……」

 サイド3の人口の空には、やけに必死な声と押し殺すような笑い声がしばし、木霊していました。
 呆れるような、猫の鳴き声も。

 これで私、ララァ・スンが見てきた物語はおしまいです。
 この後の二人がどうなったかは、それは二人しか知らないことですから。

20090602