8月1日、午前3時12分。湘南は今日も晴れ。サザンクロスはここからじゃ見えないが、まぁそこそこ綺麗な夜空が広がっている。
俺は特に目的もなく意味も無く、海岸沿いをぶらぶらしていた。
かかとをはき潰したコンバースは、じゃりじゃり、波の音を掻き消そうとして、負ける。
ほとんど一定のリズムで、時々勢いよく襲い掛かる波しぶきに誘われたのかもしれない。こんなところにこんな時間にやってくることなんてまず、ないから。
無性に顔がかゆくて、手首で花をぬぐった。ぬるぬるする。鼻血だ。気分悪ィ。
こんなにやられることなんて、めったにないんだけど、な。
シャツの裾でぬぐってから、なんとなく水平線を見たくなって視線を上げた。
何も見えなかった。ただ、真っ暗ななかに波の音だけが延々、響いていた。

段々目が暗さに慣れてくると、そう離れていないところに誰かがうずくまっていることに気がついた。
小柄だ。子供か?こんな時間にガキがなにしてる――と言いたくなるが俺もきっと客観的にはガキに分類されるんだろう。
近寄る気もせず、俺はずっとそこに立っていた。
まともじゃねえよな。こんな時間にこんな場所でじってしてるなんて。

そのうち、脚が痛くなってきて、俺は砂浜に座り込んだ。夜露、というとおかしいかな。砂浜はじっとり湿っている。
このまま座っていたら、ケツだけ濡れて情けねえ格好になりそうだ。
でも、立ち上がる気力もない。ああ、いつもバカどもと一緒だったから思わなかったけど、一人でケンカすんのって案外しんどいな。
座り込んで気がついた。
うずくまってる誰かを真似してるようだ。居心地が悪くて、めんどくさくなって、俺は砂浜に仰向けに寝転がった。
頭の下で両手を組んでまばたきをすると、右ななめ下がぼやけた月が浮かんでいた。
それが満月になりかけなのか、最近まで満月だったのか、俺にはわからない。


頭の上を、飛行機が飛んでいった。点滅するアウターランプはゆっくりと俺の視界を横切る。


俺の耳に届くのは、ずっと、波の音だけだ。ずっと、等間隔でないにしても、同じように押し迫ったり引いたりを繰り返している。
夜ってこんなにも静かだっただろうか。
夜ってこんなにも、落ち着いた時間だっただろうか。
どちらかというと、いや、いうまでもなく繁華街の空気に慣れすぎていた耳の保養になりそうだ。
そう思うと、なんだか笑えてくる。

それにしても、あそこでうずくまっているヤツは何をしているんだろうか。
なんとなく首を動かしてそちらを向くと、額を抱えた膝につけていたはずだったのにいつの間にか顔を上げて水平線近くの星を見つめている。
ように見える。
水平線の近くに星が見えるのかどうか知らないし、仮に見えたとしても、彼女がそれを確実に見ているとは断言できない。
そこにいたのは女だった。
多分同い年くらい。暗さに慣れてきた目で確認できたのは、髪の長さと着ているものの雰囲気と、俺の判断の元になったなんとなくの体型だけ。


失恋でもしたんだろうか。微動だにせず、ずっと一点を見つめていた。


口の中が塩辛い。血かな、それとも潮風のせいかな。
寄せる波の数を数えていた。でも飽きて、すぐやめた。
小難しいことを考えるのは得手じゃないから、俺はそのまま夜空を見上げたまま意識を飛ばしていた。
眠っていたようにも思えるし、ずっと起きていたのかもしれない。
気づいたら夜空は、薄い雲に覆われた朝焼けに変わっていた。
遠くから、車がアスファルトの道路を走る音が聞こえる。今日は何曜日だっけ。腹がすいたな。

「ハニートースト、半分食べない?」

寝そべった俺の、頭の上から声が降ってきた。
首をのけぞらせると、膝を抱えていたあの女が立って、俺を見下ろしていた。
長袖のパーカーにボーダーのホットパンツで、綺麗にしまったふくらはぎに砂粒がまとわりついている。なんだよ、スカートじゃないのかと残念がった俺を見る視線は無表情で、朝方の冷たい風に、ポニーテールにした髪がそよいでいた。
なんだっけ、ハニートースト?
甘ったるそうな名前だ。

「別にいいけど割り勘な」

どっかで聞いたことがある。どこだったっけ。

「いいよ。財布持ってないけど」

彼女は顎を上げて、また水平線の向こうを見た。鼻の穴が見える。別になんとも思わないけど。
ざあざあ。波は昨夜と同じリズムで寄せたり引いたりを繰り返す。飽きそうだ。

遠くから、散歩中の老人と犬が歩いてきていた。


波よせて / Small Circle Of Friends