(※姉弟パロです)
8月5日、AM11:42
バチン。寝床にうつぶせたままちょっと荒々しく携帯を閉じる。
ああ今日も自主休講だ。休講って言っても講義があるわけじゃないけど。
「うー…さむっ」
またエアコンを点けっぱなしで寝ていた。ひゅうひゅうと静かに稼動しているのを止めて、射光カーテンを開けると日差しがまぶしい。当たり前だ。もう昼なんだから。結局、一瞬だけ逡巡してカーテンを閉じておくことにして、部屋の電気を点けようとしてまたため息をつく。照明まで点けっぱなしだったのか。
「やれやれだ」
まあ、過ぎたことを四の五の言ってもしょうがないので、やりかけの作業を再開させることにする。案の定稼動しっぱなしだったパソコンに手を伸ばして、文献をどこまで読んだか確認しかけたとき、ドアがノックされた。
「アムロー?おきてるー?」
母さんじゃなかった。姉だった。
「おきてるよ」
「お昼食べるでしょー?」
無意識に腹に手を当てた。引き締まってもたるんでもいない俺の腹はいつもよりへこんでいる気がする。
「食う」
「はーい」
立ち去っていく気配。今日は仕事じゃないのか。
姉は教師だ、小学校の。とてもじゃないが、いや、とてもやってられないと思う。ニュースとかで見るけど、なんか大変そうだし。
中学校も高校もあるのに、何でわざわざ一番大変そうなところに行くのかよくわからない。
昔は、俺のほうがわからないとか言われていたのに。
窓の外から油蝉の鳴き声がかすかに聞こえる。夏だっけ。ああ、八月か。
小学生の頃は夏休みがあったなあ。大学院に入ったら夏休みなんてない。にも関わらず俺はほぼ毎日自宅でレポートの作成だ。しょうがない、朝は起きれないんだから。
昔は、それこそ小学生のころは毎朝ラジオ体操にだって行ったし、朝顔の観察日記もかかさなかった。
「食べないのー?」
なんだ、もうできたんだ。返事はするのが億劫だったから、立ち上がってダイニングに向かった。一度、腹が鳴った。

「うわっ、ちょっと!服ぐらいちゃんと着なさいよ!」
そういう姉だってすっぴんに、どうでもよさそうなシャツだ。俺はといえば、パンツにタンクトップ。別に問題ないと思う。
「いつ起きたの?」
「さっき」
「またずる休み?」
「ちゃんと勉強してるよ」
なんだこれ。小学生の頃の俺と母さんの会話だ。
昼飯はそうめんだ。ああ、だからこんなに早かったのか。
ガラスの器にきれいな塊となって浮かんでいる白い筋を橋で掬おうとして、つゆの準備ができてないことに気がついた。このままめんつゆをかけてやろうかと思ったけど、二人分がまとめられた器にそんなことをしたら姉は絶対に怒る。
姉は、刻み葱、おろし生姜、千切りにした紫蘇、それぞれをこれでもかというほどめんつゆの中に入れる。濃縮二倍なのに薄めない。変な食べ方だ。薬味がメインじゃないか。
俺は面倒だから刻み葱だけを入れる。めんつゆを薄めるのは面倒だったから、そうめんの器に入っていた氷を一個、落とした。
いただきます。
向かい合って、交互に器をつつく。いつだってこういうとき、姉は俺に最初の一掬いを譲ってくれた。
「今日休み?」
「そうよ。でも色々やらなくちゃいけなくって…」
洗ってざるに上げてそのまま持ってきましたって感じのミニトマトを口に入れた。すっぱい。
「それ美味しいでしょ?うちのクラスで作ったのよ」
小学校、3年生だったっけ。担任。
「すっぱい」
目元がかゆくなってこすったら、目ヤニが指先についてきた。タンクトップの裾でぬぐったが、どうやら気づかれていない。
「まだ早かったかな?」
「どっちかっていうとそうめんのほうが。硬いんだけど」
「丁度いいじゃない」
たまにメシ作りにこだわるときもあるけど、大体姉の料理は大雑把だ。今食卓に並んでいる薬味だって、葱は刻んだのを買ってきてるし生姜はチューブ、紫蘇の千切りは幅にばらつきがありすぎ。ああ、だから刻んである葱を買ってくるのか。なんとなく、合点した。
ワシワシ ワシワシ
風通しのいいダイニングの窓は開けっ放しだ。蝉の鳴き声につられてベランダのほうを見ると、見覚えのない鉢植えがずらりと並んでいた。
「何あれ」
「え?」
そうめんに夢中になっていた姉は首を回して、俺の視線の先を辿った。
「ああ、朝顔よ」
「なんでウチにあんの?」
教材が余ったからもらってきた。なんでもないように姉は言った。
「だからなんでウチに持って帰ってきたの」
「いいじゃない別に。あ、お習字の半紙があるわよ?」
姉は笑った。何が言いたいのかはよくわかる。
二人とも小学生のころは夏休みになると朝顔の花弁を水に浸して色素を搾り出して、たたんだ半紙の先を浸して遊んだ。様々な色の水に染まった半紙をそっと開くと、万華鏡みたいな模様ができている。
そういう、単純な遊びを二人でやっていた。未だに覚えている。
「洗いもの終わったらやらない?」
料理をしなかった人が洗い物。それがウチのルールだ。
姉は楽しそうに笑ってる。ちょっとは年相応の落ち着きを持って欲しい。
「やだよレポートあるのに」
「じゃあ明日」
明日も休みなのか。
「学校行く」
「ふん、行かないくせに」
なんで偉そうにしてんだよ。はー。一人でやればいいのに。
「わかったわかった」
「やったっ!」

ワシワシ ワシワシ
一生変わらないんだろうな。


汗染みは淡いブルース / キリンジ