嗚呼!



シュバルツ大佐がお風邪を召されたというニュースは、帝都のごく一部の間でちょっとした話題になっているようでございます。
そのことをご本人に申し上げますと、

「たかだかその程度のことが話題に上るというのは、世が平和な証なのだろう……」

最初のうちこそ理解に苦しむような顔を見せていたものの、今となっては無理矢理ご自分を納得させるようにぶつぶつと口を動かしていらっしゃるのです。
熱のせいかぼんやりとしたお顔つきではそれもうわ言かと思いそうなものなのに、どうやら意識だけははっきりしていらっしゃるとのこと。無論、それも本人の弁によるものですから、信憑性には欠けておりますが。

「いいえ、ごく一部では驚天動地の大騒ぎでございましょうね。あなた様は、ご令嬢からご婦人にまで、とても人気でいらっしゃいますから」

いつもより高い温度を示した体温計を振り、引き出しの中に収める。
空調はつけていないけれどずいぶんと涼しく、また過ごしやすくもあるこの部屋の中には二人しかおりません。
夏風邪は性質が悪いからとメイドたちも控えさせずにここにいるのにはまた別の理由があるのは、きっと大佐にはお考えも及ばぬことに違いないでしょう。

ほんの少しだけ棘のある言い方をしたのが気に入らなかったのか、いえ、おかしかったのでしょう、

「病人なのだからもう少し優しくされても罰はあたらないと思うが」
「まあ、」

ほんの昨日まで「大したことではない」と言い張って帝都に居続けようとした方と、同じ人とはまるで思えない口ぶりに今度は私が呆れるのでした。
弟君のトーマさんにあれやこれやを言いつけては仕事をし続けようとするなど、これでは回復するものもしないと判断して無理矢理私にここまで−帝都からは随分と北に位置する片田舎の別荘地まで−連れてこられたのに。舌の根も乾かぬうちに、というのはまさしくこういうことでございましょう。

「ではご病人はおとなしく、もうしばらくお休みになってくださいましね」
「眠れと言われても、そうそう眠られるものでもあるまい?」
「いいえ。もうそろそろ、お薬が効いて眠くなるころですよ。お目覚めになったら、果物を剥いて差し上げますから」
「これではまるで母子だ」

笑いながら口を曲げているご様子は、確かにおっしゃるとおりにお子のようで、私もほんの少し調子に乗って大佐の髪を撫ぜるように梳いてしまうほどでした。
普段は凛々しくていらっしゃいますから、こうして弱っていらっしゃるのを見ているのは本当は少しだけ心が痛みます。

「そう悲しそうな顔をすることはない。言われたとおりにちゃんと眠ってみるさ」
「いえ、……そうではないのです」

痛みますが、そんなお姿を独り占めできていると思ってしまう、優越感や幸福感を覚えてしまう私を、どうかお許しくださいましね?
不思議そうに目を見開いていらっしゃいますが、それすらもどうにも、ご無理をなさっているように見えます。

「未来の皇后陛下からお見舞いの品として果物をいただいておりますので、ご心配をおかけしていることが心苦しいのですよ」

大佐は少し、お笑いになりました。

すっと瞼が閉じられると、カーテンを通した淡い午後の光が睫の部分だけさえぎられ、女の身である私にほんの少しの羨望を抱かせました。

「方々に迷惑をかけてしまっているようだ。君の言うとおり、おとなしく休んで……」

早く回復しなければ。
そう聞こえたのかどうかすら定かではありません。
赤みの差した頬にそっと触れれば、本当に子供のような温度が感じられました。
それが何とも申せぬほどにいとおしく、ある種、征服するということは何も力によるものではないのかもしれないとさえ、考えてしまうのでした。



大佐がお眠りになった後、私はテーブルの上に置かれた端末を開きました。
お仕事をさせぬために通信機器を持ち込むことはしたくなかったのですが、それでは何かあったときに困るだろうと説得され、しぶしぶ、文字だけのメッセージ送受信機能だけがついたものを邸から携えております。
昨日は陛下とお義父様とメリーアン様から、それぞれお見舞いと私をねぎらう言葉と、たわいのないお話が送られておりました。
今日は先々の大戦時からのお知り合いであるバン・フライハイト様やフィーネ様からもメッセージが送られているようです。
そのほかにも、共和国からはロブ・ハーマン大佐に、ルイーズ・キャムフォード大統領からも。
何とも恐れ多いものだと驚嘆するとともに、何度目かは知れませんがやはり、とんでもない方の下へ嫁いでしまったのだという実感が、私をさいなむのでした。

ひとつ、メッセージを開いてみましょう。まずは、バン・フライハイト様からのものを。

『ルドルフから聞いたけど風邪なんだってな。そんで奥さんに無理矢理別荘に連れて行かれたってことも聞いた。
トーマのやつもくたびれてたみたいだし、二週間ぐらい羽伸ばしてきても罰は当たらないと思うぜ?
けど夏風邪は馬鹿しかひかないって、嘘だったんだな……』

最後の文章は、フォローなのでしょうか、からかいなのでしょうか。
気を取り直して、次はフィーネ様からのメッセージです。

『シュバルツ大佐、お加減はどうですか?
今、Dr.Dの研究所にいますけど、わたしもDrもお手伝いのムンベイも心配しています。トーマさんからはお仕事のがんばりすぎだとも聞きました。
無理はせず、ゆっくり治してくださいね。

追伸 よくなったら帝都に遊びに行きますね。奥様によろしく、どうぞ』

あのDr.Dの研究所にいらっしゃるとは、噂には聞き及んでおりましたがやはり才媛の中の才媛でいらっしゃるのでしょう。それでいて気配りに富んだ書簡を送るやさしさとお気遣い。大佐に代わって皆様にお返事を差し上げる気でいましたが、どうにも自信をなくしてしまいそうです。
ええ、本当に自信などありません。
大佐がご立派すぎて、私のような人間が伴侶で務まるのか、不安で仕方がない毎日を送っています。
それでも最初のころに比べれば和らいでいるものの、ふとした瞬間に襲われることのほうが、よほどつらいのです。
けれどこんな弱音は誰にも申し上げることなどできませんもの。
ご自分に厳しくていらっしゃいますから、きっとこうして私が泣いていたところで、貴方は何をしてくれましょうか。

うらみつらみを吐き出しそうな心をそっと抑えて、次のメッセージを開きました。
ロブ・ハーマン大佐からです。
いつでしたか、冗談めかして「飲み友達だ」などと大佐は仰っていましたが、国境を越えてそのように親交を深めることのできた知己をお持ちになっていることがひどくうらやましかったのでした。
私には、悩みを相談する相手もおりませんから。

『そういえば、文字だけでやりとりをするというのはこれが最初かもしれんな。
風邪だそうだが、大佐は働きすぎだ。お袋からだったか、誰から聞いたか忘れたが、新婚初日も出勤したとかなんとか。それじゃ嫁さんも不満だろうに。たまには存分に甘えておけ。そのうち子供なんてできちまえば、この先一生甘えられんからな。いや、一般論だぞ?
“過ぎた妻だ”なんてのろけ半分に言ってたが、ジェーンさんだってたまにはお前に頼られたいぐらいには思ってるだろうさ。いい夫であり続けるのだって一苦労だろうし、まぁなんだ、これが大佐にとっていいきっかけになればいいんじゃないか?
と、ここまで書いておいてジェーンさんがこれを読む可能性だってあるんじゃないかと思い当たったわけだが……頑固な男を夫に持って苦労してるだろうが、あいつは貴女のことを何度も褒めちぎっていましたから。自分も部下もうんざりするようなのろけ混じりで。

看病も大変でしょう。どうか、うつされないようにご注意を。あいつの風邪は妙に性質が悪そうだ!』


目を疑いました。
そんなそぶりはこれっぽっちもお見せになりませんが、本当に私のことをそうして評価してくださっていたのでしょうか。
思わず眠っている大佐のほうを振り返ってしまいます。
息苦しそうでもなく、かといって穏やかでもありませんが、静かな寝息だけが聞こえました。
額に乗せていた濡れタオルが少しだけずれているのが見えます。なおして差し上げなければ。
そう思って足音を立てぬよう近づき、起こさぬように手を伸ばしたところ、大佐が少しだけみじろぎ、というより、眉を動かされました。
あ、起こしてしまった。と、後悔していながら、次の瞬間に手首をつかまれて、なぜだかわからないけれど、それがひどくうれしゅうございました。

「ジェーンの手は、冷たいな」
「熱があるから、きっとそう感じるのですよ」
「気持ちがいい」

そう仰って、私の手をご自分の頬に連れ去るあなたが、ああ、こんなにもいとおしい。

「あなた、」

決して瞼を開けることなく、かすかな顔の動きで答える様に目を細めてしまいます。
私はきっと、思っていた以上にこの人に愛されているのでしょう。

「うつしてくださっても、結構ですよ」

どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、朝露の香りを風がふわりと運んでまいりました。
幸福というのは、きっと些細なことの積み重ねなのでしょう。

20110820

パーペキ超人な大佐だってきっと風邪のひとつやふたつ、お召しになるに違いない!
と、妙に息巻いて書いた作品でございました。
療養地はイセリナ山のほうがよさそうっちゅうことに書いた後に気がつきました。きっと復興がまだだということでここはひとつ、なぞの別荘地に……。
ちなみにこの風邪は二人の間を行ったりきたりするとかそういう話にしようと考えていたのは内緒でもなんでもないのですが、ギャグみたくなりそうだったので自重しました!
それにしてもロブがおいしいところをかっさらっていったなあという実感は正直、誰よりも一番感じているのでした。

リクエスト、ありがとうございました!