不良少年



中三の夏に、変な女に会った。
年下のように見えたけれど、同い年だったのかもしれないし、もしかしたらあの指先の持ち主は年上だったのかもしれない。
どこの誰かも知らないアイツとは、多分もう二度と会わないんだろう。


毎年恒例のはばたき市花火大会に無理矢理誘われた。学校の、クラスの連中にだ。
めんどくせぇにも程があるってもんだが、バカルカの野郎が「俺とコウ?毎年行ってる」なんて漏らすもんだから断るに断れねぇ。
受験勉強の息抜きと称してはいるものの、つるんでるヤツらはどれをとっても真面目に勉強しているとは到底思えないメンツばっかりだ。塾の夏期講習も家庭教師とやらも親だけがはりきっているだけで本人にやる気なんてまったくないか、俺とルカのような“そういうタイプ”の悪ガキどもしかいなかった。
人を悪ガキと抜かす自分が悪ガキだという自覚ぐらい、俺にはある。

「〜〜ちゃん、浴衣着てくるとか言ってたよ?」
「そうかよ」
「コウは着ないの?」
「はぁ?」

花火大会の当日は、蒸し暑かった。
毎日同じような晴天が続いていたような気がするから、実際のところは特別蒸し暑い日でもなかったのかもしれない。けれど思い出せば思い出すほど、自分の周りにしつこく充満する嫌な湿気と温度ばかりがイヤに印象深い夜だった。
待ち合わせの場所に予定より早くついてしまったのは、ルカが時間を間違えたせいだった。臨海公園の片隅で、手持ち無沙汰なルカが言い出したのはクラスメイトのことだった。
その名前に聞き覚えがあったのは(もっとも、今は全く思い出せないが)、つるんでいたバカのうちの誰かが『アイツ琥一に惚れてんじゃね?』なんてわけのわからないことを言い出したことがあったからだ。
当然俺にはどうでもいいこと極まりないどころか迷惑だとも思っていたが、どうやら今日はその女も来るらしい。
「メンドクセぇ……」
「ひでぇなぁ、コウは」
ケラケラ笑うルカのほうがよっぽど酷いもんだと思った。俺が、浴衣を着ることではなく、あの女を面倒だと思っていることを知って笑うのだから。
「腹へった」
「そうかよ」
「なんか買ってよ」
「テメェで買え」
「ケチ」
そうは言うものの、ソースやら醤油だれのにおいが漂う祭の会場は妙に食欲を誘う。
「……なんか買ってくっか」
「え、マジ?」
「テメェのじゃねぇ」
「俺、たこ焼きとわたあめと、カキ氷!」
目を輝かせたルカを無視して踵を返そうとすると、「待ってるからなー」と気の抜けた声がかけられた。三つのうち一つくらいなら買ってやってもいいかもしれないと思う自分が、なんとなく嫌だった。
保護者ヅラしてることと、大人だってことは別だということに、気付き始めたのはきっとその頃だったのだろう。
水平線の向こうに、船のような灯りが浮かんでいた。

重厚そうな石畳の辺りまで続いた屋台とはまた別の行列が出来ている。見上げた先には、ガラス張りの窓が連なる大きなビルがそびえている。
そういや空中庭園から見る花火は絶景だとか、そういう話があったな。
どうでもいいことを考えながら、さてどこから並ぶかと思考をめぐらせていると、

「いい加減にしてくんない!?」

入場料まで取るぼったくりビルの陰から、甲高い声が聞こえてきた。
面倒ごとには首をつっこみたくないのだが、自分の性格からして見過ごした後に嫌な思いをするのは目に見えている。
「一緒に回るだけじゃねえか」
「それがイヤだって言ってんでしょ」
痴話喧嘩かナンパかしらねえが、粘着質な男も頑なな女もどっちもどっちだと思った。
呆れ半分に零れたため息が、我ながら大げさに聞こえた。
「……人が下手に出てりゃいい気ンなりやがって」
「何よ、殴るなら殴りなさいよ?そんな根性ないくせに」
おーおー勇ましいこって。
今度は鼻から笑いと空気が漏れるのを自覚しながら、俺は闇の中へ足を向けた。
「てめ……!」
おそらく逆上している男は俺が思っていたよりも小柄で、
「!?」
「何もこんな日にンなことしなくてもいいだろーが、あ?」
その頃すでに185をゆうに越えていた俺が、ちょっと足を振り上げるだけで殴りかかろうとしていた右手を蹴り飛ばせるくらいだった。
「い……ってぇ……!てめぇ……」
「あ?」
どう贔屓目に見ても軟弱としか思えなくて、俺は純粋なおかしさから笑っていた。男は一瞬俺を睨み上げたものの、根性なしゆえか、すぐにどこかに消え去ってしまった。
「ンだよ、マジで根性なしじゃねぇか」
俺の後ろには、例の女がいる。
振り返ると、見上げていた目とばっちり視線がかちあった。
ものめずらしさに大きく見開かれた目の中に、提灯の火が一つ、写り込んでいる。
「…………」
「…………」
「……じゃあな、」
「ちょ、ちょっと待って!」
もと来た道を引き返そうとする俺の、シャツの裾が引っ張られる。
「なんで助けてくれたの?」
「なんでって……」
ああも甲高い声出してりゃ誰だって、変だと思うだろう。
そう言うといささか落胆したような顔をしている。
色気も何もない半袖のTシャツと、太腿の真ん中ぐらいまでのデニムのスカートに、とりあえずつっかけたような中途半端なヒールのサンダル。
まさに『ちょっとそこのコンビニまで』、みてーな格好はごくごく普通の女にすぎないのに、中身は普通じゃないようだ。
「ああそう……変なのね……」
別にオマエが変だとは言っていない。思ってはいるかもしれないけど。
礼を言ってもらおうなんて考えてはいなかったからそのまま立ち去ろうとすると、今度は袖を掴まれた。
伸びたらどうしてくれんだよと言いたいのをこらえて見下ろすと、
「でもとりあえずありがと。お礼にデートしたげる」
今度は二つ、目の中に提灯の火が揺れていた。
まるで赤い目に魅入られたようで、俺はその恩着せがましい申し出を断れなかった。


多分戻ればルカにはたかられるだろうし、クラスの連中どもとバカをやるような気分でもないし、アイツらが言うようにクラスメイトのあの女が本当にそうだったら面倒だし。
色々と理由をつけて正当化する俺の横を、奇妙な距離を開けて女は歩いていた。
袖は掴むが手はつないでこないのは、妙なところで慎み深いとかそういうことなのだろうか。俺にはわからない。
「すごい人、多いね」
「そうだな」
「いつもこんな感じなの?」
「来たことねぇのかよ」
「ない。暑いのと、人ごみが嫌いだから」
「ふぅん」
じゃあなんで今日は来てんだとは、どういうわけか聞けなかった。
「みんな花火が好きなのかしら。それとも暇なのかしら」
「……オマエがからまれる理由がよくわかった」
「え?なに?うるさくて聞こえない!」
「なんでもねえ。花火、嫌いなのかって聞いたんだ」

「好きよ?」

即答した彼女とまた目が合って、少しだけ焦った。別に俺が好きだって言われたわけじゃないにもかかわらず。
それにしたって、例の女から好意を寄せられたところで何も感じなかったのに、なんだって俺は、名前も知らない初対面の女に馬鹿みてぇにドギマギしているんだろうか。情けなくなった。
当の本人は俺の後ろの屋台に走り出して、焼きもろこしを買おうとしている。ガキか。
そういう行動に幾分ほっとしたような気持ちで首筋をなでると、まだ今より長かった髪がうなじにはりついて、そのとき俺は、いい加減に髪を切ろうかと思ったのだった。

「歩きながら食べるのはみっともないから」
そういう彼女に反論するのも面倒……というよりは、確かにみっともないし落ち着いて食えたもんじゃない。特にコイツは人にぶつかりそうだしそのたびにいらぬ喧嘩の火種を撒き散らしそうだった。
臨海公園の歩道の縁石に腰を下ろして、浜を見下ろしながら彼女はまず最初にやきもろこしを平らげた。
「焼きそば、ちょっとちょうだい?」
こうやってねだられるのはいつものことだから、俺は特に気にもしなかった。
瓶入りのラムネも串焼きも少しずつ小さな口に吸い込まれていくのだろうと考えても、別段嫌だとも感じない。
本当に変な女だな。笑いがこみ上げた。
水平線の向こうで船のような灯りが点滅していても、それよりも打ち上げの準備がすすむ花火のほうに興味をひかれていた。

「ピアスだ」
「…………は?」
「ピアス、つけてる」
俺の顔、ではなく左耳を指差した顔が興味津々一色だった。
「触ってもいい?」
返事を迷っている間に、無遠慮に腕が伸びてきた。髪を掻き分けて触れる指先がくすぐったくて、少しだけ顔をしかめた。
どうして気付いたのだろう。耳まで隠れているはずなのに。
ああ、暑かったからさっき、髪をかきあげたせいか。
そんなことを考えながら花火が打ちあがるのを待っていると、今度は突然耳を掴まれた。
理由がわからない行動があまりに唐突すぎて痛みすら感じる。
「!何すんだてめ、」
思わず手首を掴んでしまったせいではないと思う。彼女が泣き出しそうな顔をしていたのは。

泣き出しそう、というより、泣いていいものかわからなくて恥ずかしそうに困っているような顔だった。
一つ目の花火が打ちあがると、音にあわせて瞳の中の火花が揺れた。
二つ目の花火と三つ目の花火はほとんど同時に打ち上げられて、煉瓦道に薄い影を落とした。
四つ目は、もう覚えていない。
ただ、こんな髪の色をしていたのかとようやく気がつくくらいに辺りが明るくなっていく中、何かを言われたような気がした。
彼女が目を伏せた後は、もう何の煌きも残らなかった。



「琥一くん?」
やはり蒸し暑い熱気の中で俺を呼んだのは、数年ぶりにこの街に戻ってきた幼馴染の声だった。
「どうしたの?」
「なんでもねぇよ」
「キレーなお姉さんにでも見とれてたんだろ?」
「バカ言ってんじゃねぇ」
ルカとコイツと三人で花火大会に繰り出すのもかれこれ三回目だった。
年々暑さが厳しくなっていくような夏休みを実感しながらも、やっぱり毎回、あの日ほど蒸し暑いようには思えない。
「早く行かねぇと場所がなくなんだろ」
「待って。俺あと、焼きそばとリンゴ飴と……」
「琉夏くん、そんなに食べれるの?」
「余裕!」
浴衣姿の人ごみの中で彼女を探してみようと思ったきっかけは何なのかわからない。
けれどもう彼女はどこにもいないような気がした。


中三の夏に、変な女に会った。
年下のように見えたけれど、同い年だったのかもしれないし、もしかしたらあの指先の持ち主は年上だったのかもしれない。
どこの誰かも知らないアイツとは、多分もう二度と会えないんだろう。

20110820

ACIDMANの『夏の余韻』を聞きながら書きました。
リクエスト用のお題を用意した時点でこれは琥一のためのお題だなとか考えておりましたので、リクエストして下さった方にひときわ大きなありがとうございますを伝えたい所存であります!笑
案の定真っ先に書き上げてしまいました。ので、花火大会の日に(ギリギリじゃないか)更新してみました。
中学時代の琥一に果てしないトキメキと可能性を禁じえないがためにこんな話になりましたが、きっと年をとっても絶対に忘れない存在があるというのは、ロマンチックでいいんじゃないかなあと。
琥一はロマンチストだからきっとうまいこと“いい思い出化”してくれることでしょう。誰にも話さない、俺だけの思い出の女、とか思ってそうですねへへっ。
リクエストありがとうございました。