ここに眠る



(エンドレスワルツ終了らへんの話です)

頭上でさらさらと、梢が風に揺れている。
その合間から水面に反射する光のような日差しがこぼれ、時折私の目を刺した。
まぶしすぎて、目を開けていられなくなる。乾燥した目を閉じると、じわじわと反射的な涙が瞼の裏に満ち広がっていくようだった。
草むらにだらしなく寝転がり、ただぼんやりと心地よい風が頬をなでていく、それだけを感じている穏やかな時間。前にもこういうことは何度もあった。
単に休息が必要だったときもあれば、むしゃくしゃしていたこともあった。
士官学校の頃にもそういうことはあったし、もっと幼い子供の頃から、こうやって風に吹かれているのが好きだった。
自分ひとりだったこともあったし、隣に誰かがいたこともあった。

あの頃、自分も彼女もまだあどけない子供だった。


***


何が原因だったかと聞かれると思い出せないが、時々私はぐずぐずとべそをかきながら、裏庭の秘密の場所に歩いていくことがあった。
今は亡きサンクキングダム王家の庭は広大で――もっとも、子供だった私たちにはそう思えただけで、実際はさして大した広さでもなかった――ちょっと奥まったところまで足を伸ばせば、少年の冒険心をくすぐるような場所がいくつも存在していた。
例えば、ごわごわと固い蔓の棚は御伽噺の主人公のように木登りをするのに丁度よかったし、古木の洞の中に身を潜めれば、その中を駆け巡っていく風の音色はまるで宇宙の胎動のように思えた。
私はさして興味を抱かなかったが、リリーナは蔦の絡まる今は使われていない古い門扉がことのほかお気に入りだった。
たぶん、ジェーンも。
彼女はそのころサンクキングダムに住んでいたどこぞかの貴族の令嬢らしいのだが、到底そうとは思えないお転婆ぶりが新鮮だった。いや、貴族だったのかどうかすら、今の私の記憶ではあやふやだ。ただ、彼女は本当に天真爛漫で明るくて、男の私よりも楽しそうに木に登り、洞の中でも着ているものが汚れることすら厭わずに座り込んで身を預けていた。
今もあるのかどうか確かめてもいないが、古い門扉の横に、生い茂った草に隠されるように抜け穴があった。丁度、私たちぐらいの子供なら難なく抜けられるくらいの。
いつもジェーンは綺麗なドレスを草まみれにしてはそこからやってきて、秘密の場所――そう呼んでいた裏庭の片隅で私と遊んでくれた。
くれた、というのは、あの頃は私より彼女のほうが気が強くて面倒見がよかったものだから、なんとなくそういう風に思ってしまっているだけだ。特別、感謝しているわけではない。が、やはりあの頃のことを思い出すと彼女がいてくれてよかったようにも思う。
たまに泣きながらそこにいくと、ジェーンは嫌な顔一つ見せず、困ったように笑いながら小さな手で私を慰めてくれた。小さな手。彼女は私より一つ年下だった。女性は男よりも精神年齢が高いというのは本当かもしれない。
こまっしゃくれた彼女は、私が泣いてぐずっても、困ることはあっても持て余したりつられて泣いたりはしなかった。
ただの、一度も。

『どうして、ジェーンはぼくに、泣くなって言わないの?』
『だって、泣いちゃいけないことなんてないもの』
『ぼく、男の子だよ?』
『どうして?男の子だって泣いたっていいでしょ?』
『……そうなの?』
『そうなの。お城にもどったら泣くな泣くなっていっぱい言われるんだから、ここではちょっとくらい泣いてもいいじゃない』

……我ながら、思い返すたびに情けない。
と、思ってしまうあたりが、私もまだまだ未熟だということなのだろう。
男なら泣くなとは、一度も言われたことがなかった。
ジェーンの両親は中々よい教育をしていたのではないだろうかと、関係のないことを考えながら小さな手のひらの感触を思い出す。
子供の頃はふわりとしていた私の髪を、ふっくらとした手のひらが撫ぜてくれる感触。母親や乳母たちとは違う、ちょっと無遠慮で優しい思いやり。
ここに来ると、思い出してしまう。

サンクキングダムの空は変わらない。そして、風も。
落城の跡の庭は荒れ果てているものの、どこからか湧き出ているのか水の音までしている。
いいや、もしかしたらあの頃から、どこからか水は流れていたのかもしれない。ただ、私が気づかなかっただけで。

一際大きな雲が頭上を覆い隠し、しばらく世界は淡い影に覆われた。
ふわりと花の香りが満ちている中、そっと目を閉じれば心地よい眠りの中に連れ去られそうだった。

私はここに、悲しみしか残さない生まれ育った故郷に、何をしにきたのだろうか。
懺悔とも、邂逅ともつかない感情を抱え、あの頃と同じように庭の中で一人、膝を抱える自分のほかに誰もいない。
ジェーンの住んでいた家も荒れ果てて、その一部は崩れ落ちていた。
今更会いたいなどとは願わない。いや、願ってはいたかもしれない。けれど私には合わせる顔もない。
どこかで笑っていてくれれば、それでいいさ。

復讐鬼と化していた私を知ったら、君は嫌いになるだろうから。


***


「――ならないよ」

そうだろうか。
いや、そうかもしれない。どこか君は、トレーズに似ている。本質を見極める力というのだろうか。そういうものを、持っている。
今の君の顔も知らないくせに、そんな評価をする自分が少しおかしかった。
口元を歪めて自嘲していると、額に痛みが走る。

「何笑ってんの」

思わず目を開けた先に、光の中に、君がいた。

「いい趣味してるのね」

髪をまとめてくくり、ラフな開襟シャツと長いズボンで。あの頃の少女趣味なドレスから遠くかけ離れた格好なのに、ジェーンだとすぐにわかった。
変わっていない。
瞳に宿る色、少しあがった勝気な眉、凛とした口角の下がった唇。
呆気にとられて口もきけず、私はただ、身を起こそうとしただけで動きまで止めてしまった。

「子供のころなんて髪の毛、ふわっふわだったのに、まっすぐ。大人になったから?それとも伸ばしたら髪質変わるのかな?」

ジェーンは私の髪に手を伸ばし、さらりと一掬いして不思議そうに目を見開いた。

「ジェーン、君……なぜここに――」
「そこから、また入ってきたの」

指差した方向は抜け穴だった。そういうことが聞きたいのではないのに、思わずこんな言葉が飛び出してしまう。

「まさか、もう通らないだろう?」
「あはは!そりゃそうよ?だから……ほらコレ!これでがりがり広げてから、入ってきちゃった!」
「……つるはし、か?」

ジェーンが見せたのは、細い腕に似合わないような無骨な道具だった。

「この近くにね、遺跡があるの。最近見つかった、新しい遺跡。……遺跡が新しいとかそういうの、おかしいかもしんないけど、とにかくそこで発掘作業してるの。私、大学の研究室で下っ端だけど無理いってチームに入れてもらってさ」

そういうわけで、随分動きやすそうな格好をしていたらしい。
被っていたと思われる帽子を折り曲げて、つばの部分で自分の顔を仰いでいるジェーンは、一人で道を歩み始めたんだろう。
相変わらずたくましいと言うべきか。
つるはしについた草の切れ端を指先ではらう姿は、あの頃と同じだった。優しい手つきだった。

「ジェーン、手」
「手?なぁに?」

引き寄せた手は、思ったとおり成長していたけれど、私よりはずっと小さい。

「綺麗な手だ。昔と同じ」
「な――によ、突然」
「君でもそうやって照れたりするんだな」
「……するよ。毎日炎天下で作業して真っ黒に焼けた手をさ、綺麗だなんて言われれば」
「こうやって触れられることは?」
「…………なんか、恥ずかしい」

気弱そうにつむぎだす口ぶりが、新鮮だし可愛らしかった。
思わず笑い声を上げてしまった私を、ジェーンは頬を染めて糾弾する。

「ちょっと!私だって覚えてるからね?いっつもここで泣いてたじゃないの!」
「いつもじゃないだろう?」
「い・つ・も!」
「そうだろうか?何回くらい?」
「え?えーと……いち、に、……さん――うわっ!? ちょ、ちょっと!?」

首をかしげて数を数えるジェーンに這いより、膝の上に頭を乗せた。
案の定ジェーンは上ずった声を上げるが、私をどかせようとか、そういうことは全くしてこない。

「な、なにしてるの!」
「膝枕をしてもらおうと思って」
「見ればわかる!」
「わかるなら、そんなに騒ぐほどのことでもないだろう?」
「……騒いでない」

むすっとふてくされたような顔をしているジェーンが本当にかわいらしかった。
ふっくらとした頬は少し細くなったけれど、唇をとがらせていると面影が残っているのがわかる。

「髪、触ってもいい?」
「別に、聞かなくてもいいさ。それにさっきは触ってただろう」
「なんか――改めて恥ずかしくなってさ……笑わないの」

さらさらとなでていく指先が心地いい。
しっとりと軽く水分を含んだ柔らかな指先が、時折頬に触れては離れていく。
悲しみしか残さない故郷に、一つだけ安らぐものがあった。
多分私は、ずっと前からそれを知っていたのだと思う。

「……おかえり。ミリアルド」

ただいま。

20120701

……大変お待たせいたしました。ミリアルド・ピースクラフトさんです。
本編の記憶をひねり出しながら書いておりましたが、やはり一見強そうに見える殿方は、一度糸がふっと切れて弱気になってるところが魅力的であるという結論に至りました……。
多分妹のリリーナ様のほうが強い。総合的に見てリリーナ様がWで一番強い。次点でレディ・アン。あれっWって女の子最強番組……?
閑話休題、ゼクスではなくミリアルドということでしたので、小さい頃のエピソードを捏造してみました。あと膝枕も御所望でしたので、あ、そういう意味でもやはり弱っている男が書きたくなったんだと思います。
上で女の子最強とか言ってますが、Wの殿方も大好きです。ミリアルドさんうつくしすぎやで……。
リクエスト、ありがとうございました!