ちりばめる



透明なはずの雫は、中空に舞い上がって七色に輝く。
その一粒一粒に無遠慮に触れながら彼女は駆けて行く。
亜麻色の髪と同じ色をした、尾をたなびかせる駿馬に跨ったままで。



***



「避暑……で、ありますか?」

三日前。
北欧のとある基地に呼び出された彼女、ジェーン・バーキンに告げられたのは新しい“任務”の内容だった。
彼女の眼前の椅子に腰掛けているのは、トレーズ・クシュリナーダ。OZの総帥である。
たかだか一兵士の彼女が総帥直々の呼び出しを受けているのにはそれなりの理由があった。

「そうだ。先日からレディは宇宙に上がっているからね」

レディ・アンはトレーズの側近である。そしてジェーンの上官でもある。
確かにトレーズの言ったとおり、レディ・アンは宇宙――某コロニーに先日から派遣されている。なにやらきな臭いことが起こるのではないかといった噂まで囁かれていたが、それは今回ジェーンを呼び出したこととは関係ないだろう。

「一人で行くのも味気ないものだから、君に付き合ってもらおうかと思って」
「は……」

納得いかない、というよりは理解できないような顔をしながらそれでも一応は了承するジェーンを、トレーズは笑った。

「何も仕事をさせようというわけじゃない」
「いえ、それでも私はかまいませんが――」
「そういうところが、」

言いかけて、彼は口をつぐんだ。
人の性格というのは一朝一夕でどうこうなるものでもあるまい。

「閣下?」
「いや、なんでもない。日程については追って連絡をするからそのつもりで」
「了解しました」

ジェーンが模範的な敬礼をしてから退室すると、別室でくつろいでいたゼクス・マーキスがおもむろに現れる。
彼は冷めかけた紅茶のカップをトレーズの傍のテーブルに置き、揶揄するように笑った。

「仕事でないのなら私を誘ってくれてもよかっただろうに」
「冗談を」

トレーズもまた、気を悪くする風でもなく笑う。メイドに新しい紅茶を持ってくるように命じると、南向きの窓を開け放ったゼクスに向き直った。
「君に雑用をさせるのは気が咎める。かといって、君のために私が働くというのも釈然としないだろう?」
「結局貴方は、どういうつもりで彼女をつれていくと?」




どういうつもり、か。

そう問われると返答に困る。
避暑というのは半分口実で、半分は事実だ。厳しい気候の地にわざわざ好んで居座るほど酔狂ではないが、公務を放り出してどこかへバカンスにでかけるほど暇でもない。確かにこのところの激務のせいで体を休めるようにと言われ続けていたのは渡りに船だったが、どこか行きたい場所があったわけでもない。
どうしたものかと思案していたところにやってきたのが、ジェーンだった。
やつれたような顔をして書類を届ける乾燥した指先を見ていると、休ませるべきは自分ではなく彼女のような気がしてくる。
それとなく聞いてみればやはりハードスケジュールに追われて碌に休養もとれていないらしい。それならば休みを与えればいいのだろうが、そうしてみたところ、今度は仕事の遅れを取り戻すために自ずから“休日出勤”してきたというのだから困るどころか呆れてしまった。
というのが、レディ・アンの評価だった。
どこか仕事などできもしないような場所に缶詰にしてしまえばいいということを、レディはどこか憤慨しながら口走った。休むべきときに休むことですら、レディにとっては職務の一部であり、それは何もレディ一人がそう思い込んでいるわけでもない。メリハリというのは、安易な言葉ではあるものの重要だ。
缶詰にすれば、それはそうかもしれないが、果たしてそうしたところでジェーンがおとなしく休んでくれるものだろうか。
否。彼女はきっと頑として聞き入れないであろう。
ならばと思って、トレーズはジェーンを、避暑の同伴に選んだのだった。
果たして彼女が自分の言うとおりに休んでくれるのかは賭けでしかなかったけれど。



***



しかし、それも杞憂に終わりそうだった。
初日は二人して別荘の掃除をしたせいで、くたびれた体はそれぞれ十分すぎる睡眠を要求し、彼女もその本能に抗うまでもなく従った。
目が覚めたときには夏の太陽はすでに頭上近かったし、ほんの少しだけ彼女より早く起床したトレーズが作るブランチを恐縮しながら口に運んでいた。洗い物は彼女がやったけれど、二人文の食後の紅茶はトレーズが手ずから淹れた。ジェーンはそれにまた、恐縮しきりだったけれど。それでも、自分ではこうまで上手くはできないし、それを上官――それも総帥に供するわけにもいかない。

「あの、ご馳走様でした……」

借りてきた猫のように縮こまっていたジェーンは、飲み干したティーカップをソーサーの上に、おっかなびっくり戻している。トレーズが冗談めかして、『この別荘の持ち主は食器やカトラリーの蒐集家でね。私にはよくわからないが、これなどは随分と高いそうだよ』 と、話したせいだろう。ジェーンは皿の一枚に触れることすら嫌そうにしているが、言った本人は知らぬ顔で思うままに好みのデザインの食器を棚から選び出していた。

「申し訳ありません、閣下にこんなことをさせてしまって……」

いつも束ねている後ろ髪を下ろし、斜めに撫で付けている前髪が眉を隠すように無造作に伸びている様は幼く見える。
よくよく見れば手のひらも小さいし、ふっくらとした頬や、まだ眠そうな瞼もどちらかというと少女のように思えてきた。同じ組織の人間とはいえ、オンタイムに彼女にお目にかかることは少ない。とは言うものの、いつものジェーンとは随分違って見えて、トレーズは椅子の手すりに肘をつきつつジェーンの顔をじっと見つめていた。薄く微笑んで、さも興味深そうに。

「……閣下?」
「ん?……ああ、いや。なんでもないよ」

まるで妹か何かができたようだとまで考えていたので、少し気まずくて彼は視線をそらす。
窓の外には濃い緑の針葉樹林が広がり、むせ返るようなみずみずしい匂いを放っている。朝露は太陽に照らされてほとんど姿を消してしまったけれど、ところどころに置き去りにされた残滓がきらきらと輝いていた。

「そうだ」

何か思いついた顔をしたトレーズを、ジェーンもまたキョトンとした顔で見つめ返した。
先ほどまで自分が観察されていたとは知らぬだろうが、彼女もまた知らずのうちにトレーズを観察していたのだった。職務上で目にするよりも、ずっと生き生きしているように思える。きっとトレーズも疲れていたのだろう。なのに自分は初日から上官に朝食の世話などさせてしまって……。という自責の念もありはしたのだが、少年のように目を輝かせているトレーズは、彼女の目にひどく魅力的に映ったのだった。

「これを片付けてしまったら、遠乗りに出かけよう」
「遠乗り、ですか」
「乗馬くらいはできるだろう?――ん、できないなら、私が後ろに乗せようか」
「いえ!だ、大丈夫です!」

慌てて両手と首を振ったジェーンを、トレーズは笑った。そんなに慌てていては、食器を落とすだろうと思ったけれど、そこまで動揺してはいないらしい。

「それならいい。乗馬できるような服は持ってきているかな?」
「はい。あまり見目のよくないものですけれど……」
「はは。……まぁ確かに、今のワンピースのほうが似合っているが」
「え――か、閣下!」

からかい混じりの一言にも微動だにしない食器の並びを少しだけ恨みがましく思いながら、彼は別棟の馬屋に連絡を取るため席を立った。管理人は土地の人間で、年に一度の避暑の時期だけここで世話をする。それだけで暮らしていける程度の報酬を得ているらしい。一体どれだけの金が動いているのか全容を把握していないトレーズにとっては、どうでもいいことなのだが。



***



馬はなるべくおとなしい子を、と注文をつけてからダイニングに戻ると、

「……………………わっ!あ、あぶないあぶない……」

ジェーンが使った皿を一枚ずつ、本当に文字通りに一枚ずつ両手でしっかり抱えながら、厨房へ運んでいる最中だった。
割らないようにと必死なのだろうが、却ってそれがおかしくてしょうがない。思わずくぐもった笑い声をもらしてしまったトレーズを振り返り、ジェーンは顔を真っ赤にして動きを止めた。

「あの、その……片づけくらい、しようと思って……」

へっぴり腰のまま停止した彼女がもごもごと言い訳するのを手で止めて、トレーズはその手の皿を取り上げた。

「いや、すまない。ありがとう。
そんなに気を遣うものではないさ……本当に大事なら、彼も別荘ではなく自邸に置くだろうからね」
「でも……」
「形ある物はいつか崩れるものさ。彼だってそれをよく知っている。さ、片付けようか」
「……はい!」

トレーズは別に仕事に結び付けようと思っていたわけではないが、仕事の上でもあまり肩肘張らず、こうして笑いながらいられたなら彼女だって今より少しは楽になれるだろうにとも思う。
それはもちろん、難しいことなのかもしれないけれど、例えばあのルクレツィア・ノインもまた、ジェーンと似たり寄ったりの硬いタイプだが休みの間にはやわらかい顔をしているのかもしれない。
誰かの前でなら――。

「どうか、なさいました?」
「いや?」

少しだけ困ったように眉を寄せたのを見咎められて、トレーズは笑った。何も彼女をどうこうしようというつもりがあってきたわけではないのだ。少しだけ羽を伸ばしてすっきりさせてやれば、ジェーンはきっとこれまで以上に生き生きと働いてくれるだろうと、そう、思っただけ。
彼女に限らず、人は笑っているほうが美しいから。
けれど、いつか彼女はとびきりの笑顔を、誰かの前でだけ見せるのだろうか。彼の知らない、たった一人の誰かの前で。

(今くらいは、それが私でも許されていいだろう)

まだ若い白馬を駆る彼女はきっと美しいに違いない。
清流を乱すように跳ね回る白い脚が水しぶきを跳ね上げて、太陽はそれを祝福するように照らすだろう。
夏の午後は、ただ静かにそれを見つめている。

20120610

たたたた大変お待たせしました申し訳ありませんもうごらんになってないかもしれませんがというかその可能性のほうが高いですよねですよねあうううう……
トレーズ閣下です。CV置鮎です。置鮎さんが好きです。正統派二枚目ボイスだと思います。
ウイングはリアルタイムでちらちらっと見てましたがいかんせん年端も行かぬガキンチョだったのでさっぱりわからず……というか、いい年になってから見てみると話の深さにびっくり仰天した記憶があります。おかげで一度見たくらいじゃ理解できませんでした(アホ)
もう一度観ようかなと最近思ってましたが、弟がGW中に一人で全話観終わりやがって観そびれた感がすごいです。しかし今でも、ヒイロが夕日の沈む海にパイナップルを投げるあのシーンが忘れられません。なんでパイナポー……。
本当に一年近くお待たせしておいて甘さも何もない話で申し訳ありません。Wではトレーズ様が一番エレガントだと思います!

リクエスト、ありがとうございました!