だまされた、ふざけやがって!
とは決して口には出さなかったけれど、だいたいその場にいた全員が同じことを考えていたに違いないとわたしは確信している。
行先不明のシャトルに乗せられたわたしたちに途中下車は許されない。そりゃあ物理的には可能だろうけど、宇宙を漂流して窒息死なんて御免こうむる。したがって、まるで農場から出荷されるジャガイモのようにジオン公国士官学校生御一行様はどこへともしれぬ場所へ演習のために連行されるのであった……。
§
「ねぇねぇアナベルちゃん、どうせならフランチェスカに行きたかったね」
陰鬱な雰囲気を払拭したかったわたしは当社比百二十パーセントの猫なで声で銀髪の美青年に甘えてみた。シャトルの中でも展望フロア――こんなものがあるから、乗せられた時点では演習目的だとは思えなかったのだ――には誰もいなくて、わたしの最愛の、ラブリーなお名前のわりにいかめしい顔した大男の姿しか見えない。
休憩用のソファに腰を下ろして、彼は長い脚を組んで頁をめくる指先だけを一定のペースで動かしていた。ここは重力ブロックなので、わたしは宙を浮くこともなく歩いて彼の隣に腰を下ろして覗き込む。読書の邪魔にならないように。なんて健気なのかしら。自分で自分を褒めるのは、誰も褒めてくれないからだ。虚しいことなんてわかっている。
当のアナベル・ガトーはまとわりつくわたしなど気にもしていない様子で読書を続けている。ひどい。それが最愛の恋人に対する態度なのかしら。
「アナベルさーん?」
「うるさい」
ちぇ。唇をすぼめてにらむと、彼は嫌そうににらんだ。でも知ってんだから。名前で呼ばせてくれるのはわたしだけだもんね。
「何読んでるの? げぇ、教科書?」
「演習に行くんだから当たり前だろう」
わー。まーじめー。
アナベルちゃんは真面目が真面目な服を真面目に着こなして真面目に歩いているようなものだ。主席だし、だからあたりまえなのかもしれないけど。
そんな真面目の生き写しが、どうしてわたしなんかを隣に置いてくれているのかよくわからない。わたしったらちゃらんぽらんのいいかげんで何よりおつむが残念だし。残念なおつむは現実逃避が大の得意なのだ。
「フランチェスカ行きたくない? 常夏で、あ、海があるんだって。知ってた? わたし水着とか新しいの買っちゃうし。ねぇねぇ、どんなのがいいかなぁ?」
「知らん」
おう……。ひどいな。いいと思うのに。常夏の楽園、どこまでも続く海、太陽、アイスクリーム、ほか……。
最高。妄想してたらドキドキしてきちゃう。
わたしの水着はさておき、アナベルの水着はどんなのかしらなんて想像してしまう。当たり前だけど士官学校の厳しい訓練で鍛えられた体が海に反射した太陽光に照らされて、腹筋の影なんかいつもよりくっきり見えちゃって、これじゃフランチェスカのビーチのお姉さん方がほっておくわけがない。アナベルちゃんったらちょっと老け顔だし。老け顔だけど間違いなく美形で背も高くてスタイル抜群で声なんて腰が砕けるくらいセクシーで、どうしよう、ボイーンなお姉さんにアナベルがとられちゃう!
と、衝撃。わたしの妄想によるものじゃなくて、頭に物理的な衝撃。
「……何を考えてるのか知らないが、もう消灯だ」
アナベルが教科書でわたしのあたまをたたいたらしい。
「痛いよ! 頭叩いたら脳細胞が死ぬんだから」
「そんなこと信じてるのか」
呆れられている。え、ていうかそれはデマなの?
「馬鹿なこと言ってないで寝ろ」
アナベルはわたしをほったらかして歩いて行ってしまった。愛がないこと!
§
翌日未明にわたしたちはこれまた行き先がわからないように目隠しされた車両に、出荷されるトマトのように乗せられた。到着した先は背の高い草の生い茂った、見たこともない土地だった。コロニーなんだろうか。知らないうちに地球に連れてこられたんじゃないだろうか。
わたしがそんなことを考えているうちに、教官の説明は終わっていた。それにしても暑い。今からここを歩いて行けとか言われるんだろうか。泣けてくる。両肩に荷物が食い込んで千切れそう。ほんと自分でも思うけど、わたしよく士官学校に在籍できてるな。
「ペアを組んで三組ずつスタートだ。なお、コロニー内は特別に気温三十二度、湿度は六十パーセントに設定されているので注意すること。では第一から第三班、スタート!」
え?ペア?なにそれ?
きょろきょろしていたら上から頭を掴まれた。痛い……。こんなことするのは一人しかいない。
「残念ながらお前とペアだった」
「痛いですアナベルさん」
「俺は胃が痛い」
「ほんとう? じゃあ棄権して二人で休もう?」
「お前だけ棄権しろ。そのほうが楽だ」
いっそ麗しのフランチェスカへ逃避行したいなぁ。叶わぬ望みはアナベルに一蹴される。気温のせいかいつもより明るく輝いていそうな人工太陽が恨めしかった。
§
何やってるんだろう、と考えてしまったらダメなのだ。
大体意味の分からない精神論に基づくこういう訓練演習には合理的な理由なんてないに等しい。だから何やってるんだろうなんて考えるのも無駄なのだ。
だけどやっぱり考えてしまう。こんな嫌がらせの極みみたいなことして、一体どんな意味があるっていうのかって。
アナベルはずぅっと黙ったままだ。しゃべったら余計な体力を消耗するだけだからそうしているんだろうけど、むっつり黙ったまま三歩先を歩いている背中が、なんだかひどく冷たいものに思えた。
それはわたしの自分勝手な思い込みだ。アナベルはただ、演習をこなしたいだけだ。こんなときにくっついていたいとか、そういうこと考えるわたしのほうがおかしいのはわかってる。
ああ、くっついていたいって言えば、アナベルはいつだって、わたしに触れようともしない。手をつないだことがあるくらい。士官学校って特殊な場所にいるからかもしれないけど、たとえば普通のカップルならできることを想像しては、わたしはいつもため息をつくしかできない。
わたしって魅力に欠けるのかしら。そうかもしれない。アナベルには、もっと年上の綺麗な人のほうが似合う――

「ジェーン!」
人間、驚いたときには声も出ないらしい。
何が起こったのか理解できないまま、視界が反転する。とっさに目をつぶったら、なおのこと状況はわからなくなった。ただ、大きな手に触れた気がした。
「……痛い」
目を開けたら、大きな丸が広がっていた。なんだろうと考えをめぐらせているわたしの五感が徐々に働きだす。手に触れる、湿った土のにおい。口の中には泥のようなものがわずかにもぐりこんでいる。手の甲の辺りには、多分擦り傷ができているのだろう、痛みがあった。
「大丈夫か?」
アナベルの声が頭上から降ってきた。身じろぎすると違和感がある。体を起こそうとしてようやく、自分がアナベルに抱きかかえられていたことに気がついた。
それと、どうやら二人して落とし穴に落ちたらしいことも。
「う、うん。平気」
「そうか」
少し、ほっとした顔に見えた。なんだかくっついていたことが恥ずかしくなって、わたしは彼から離れて状況検分を始めた。
直径、二メートルもないくらい。そのかわり、深さは四メートルはありそうだ。これじゃあ、
「出れない……」
「だろうな。この落とし穴は対人地雷の代わりだ。無線も封鎖されているから演習終了までここにいるしかない」
「……そうなの?」
「ああ。また説明を聞いていなかっただろう。大体、少し気をつけていれば落ちなかったものを」
ここでリタイアだな、と言うアナベルに、ひどく申し訳なかった。大きな丸だと見間違えた人工の空から、同じく人工の日射が降り注ぐ。
ああ、思い出した。これは地球侵攻に向けて、地球の気象に慣れるためにって、教官が言ってた気がした。
真夏なんてものをわたしは知らないけれど、ずいぶん過酷だと思った。フランチェスカに行きたいなんて、もう思えなかった。
しばらくだまったままだった。容赦ない日差しが、わたしのつむじのあたりをじりじり焦がす。めまいがしそうで、座り込んだまま前のめりに腕をついてしまった。
「どうした」
動揺したアナベルの声が、本当は嬉しかった。でも迷惑はかけたくなくて、無理やり笑顔になってみせる。
「ちょっと……具合悪くなったみたい」
「横になっていろ」
「ん……」
アナベルは自分の上着を地面に敷いてくれた。やっぱり、優しいんだから。
横になると、どんな風に具合が悪いのか聞かれて、わたしがそれに答えるとアナベルは「熱中症だ」 と言う。いやだな、こんな風につらいことばかりなら、夏もフランチェスカも嫌いになりそう。
それを、笑われたような気がした。めったに聞けない穏やかな吐息を漏らす彼の顔を、わたしは見たかった。
なのに意識は、吸い込まれるように消えてしまう。
§
目を覚ましたのは夜になってからだった。いつのまにか暗くなってしまって、不意に心細さに襲われる。
「アナベル……?」
「ああ、もういいのか?」
多分、わたしが寝ている間は眩しくないよう、気を遣ってくれていたのだろう。途端に灯されたランタンは明るくて、ほんの少しだけ熱かった。
「だいじょうぶ。ごめんね……」
「無事なら、いい」

それきり、会話もなくなってしまった。上着を返そうとしても寝るときにまた使えと言われてしまう。
アナベルの上半身はインナーの白いTシャツだけだった。隙も無いほど鍛えられた二の腕も肩も、触れてみたいと触れられたいと思ってしまう。わたしはなんて邪なやつなんだろう。恥ずかしかった。
でもアナベルは同じように触れたいとか触れられたいとか思わないんだろうかとも、考えていた。それはとても――もしもそう思ってくれているのなら、そのとききっとわたしはおびえて逃げ出してしまうと思うくせに――寂しいことだ。
そんなことを考えているうち、休息をほしがる疲れた体に抗えず、わたしは再びまぶたを閉じてしまった。
§
また頭上の人工太陽が地表を照らす。大きく口を開けたこの穴の中にも容赦なく光の束が降り注ぐ。
昨日と同じような高い温度と湿度に辟易していると、向かい合って座っていたアナベルの体が大きく傾いだ。
慌てて駆け寄ると、来るなといわんばかりに手のひらでさえぎられる。
「……なんでもない」
そうは言うけれど顔色は悪いし、腕だって変に震えている。
「なんでもなくない、おかしいよ」
思い切って、支えるように彼の脇に行くやいなや、アナベルの上半身は倒れこんだ。
「アナベル!」
ものすごく、体が熱かった。風邪か何かをひいているような、ただ事じゃない体温を感じてわたしは泣き出しそうになる。
どうしよう、どうしよう。こんなの、わたしじゃ何もできない。アナベルが、アナベルが死んじゃう――
「だ、誰かっ……」
助けて、とは言葉にならなかった。
§
あの後、演習の終了と同時に救助されたアナベルは、病院に搬送されて手当てを受けている。
わたしよりも重い熱中症だった。ひどく申し訳なかった。きっと最初に倒れたわたしを太陽からかばってくれていたんだろう。熱をさえぎる上着だってわたしにくれて、なのに彼に愛されていないとか、そんなことを考えた自分のことも、申し訳なくてしょうがなかった。
「アナベル、」
涙と鼻水でぐずぐずになった顔で会いたくなんかなかったけど、謝らないと気がすまなかった。病室のドアを開けると、点滴を終えたアナベルがいつもの顔でわたしを振り向いた。
「具合、いいの?」
「ああ、たいしたことじゃない」
仏頂面をしているのは多分、倒れてしまったことがちょっとだけ悔しいのかもしれない。そんなことをさせてしまったのはわたしなのに。
鮮やかなオレンジ色のスツールに腰掛ける。夏を切り取ったようなその色も、全部憎らしかった。
「……ごめんね。迷惑ばっかりかけて。わたしって、やっぱり軍人に向いてない」
座学だけが得意で、幹部候補生になるために大学から編入したあの頃からずっと思ってた。
「わたし、やめようかなって思ってる。これ以上、足手まといになりたくないの」
それが一番いいことだと思う。
「――だめだ」
「え?」
顔を上げると、急に息が苦しくなる。
姿勢がおかしくて体も痛いのに、わたしは相変わらず、考えることが下手なので状況がよくわからなかった。
アナベルに引っ張られて、横たわった彼に覆いかぶさるようにして抱きしめられているって気づいても、硬直するだけで何もできない。
身動きも、何か言うことも、呼吸すら止めてしまいたくなる。
アナベルは、ぎゅうとわたしを抱きしめた。さっき「だめだ」 って言ってたことを思い出して、案外、この人も寂しがりやで甘えん坊なのかもしれないと思った。あ、違う。アナベルはわたしを好いていてくれる、求めてくれてるんだ。今までで一番近くに彼を感じて、嬉しいのと恥ずかしいのとでどうにかなりそうだった。
「アナベル、あったかい」
「そうか」
「アナベル、ドキドキしてるね」
「……そうか」
彼の指先が、わたしの髪を掻き分けてうなじをそっとなでた。なんだか大人っぽい仕草に、胸の奥底がきゅうっと苦しくなる。わたしは彼の胸元に顔をうずめて、思いっきり息を吸い込んだ。病院特有の薬みたいなにおいにまじって、ふわりとやわらかいにおいがした。
「アナベル、いいにおいする」
あったかくて安心するにおい。しあわせだなぁと思ったわたしの頭を撫でて、アナベルは「お前のほうが、」 と言いかけて口ごもった。
「……これ以上は、色々まずい」
「色々?」
気まずそうな声に視線を上げようとすると、押さえつけられる。そして、いっそう強く抱きしめられた。
「これでも、結構我慢しているほうなんだ」
何を、って言うのは聞かなかった。だってわたしは十分にしあわせで、十分に愛し愛されていることを知ったから。
まだ早鐘を打つ彼の胸に頬を寄せて、わたしは見たこともない海のことを思った。いつか二人で一緒に、その身をゆだねる大洋のことを。









後書
Thanks:mogueFile(photo)