鋼鉄の箱は海沿いを往く。腹の中に幾人もの贄を喰らい、飽くこともなく線の上を走る。
 僕は海を見ている。海があるはずの暗い闇をじっと見ている。電車の窓ガラスには僕が映る。作り物の光を受けて、ぼんやりとあなたを見つめている、僕の顔を見ている。
 あなたはずっと本を読んでいる。いつから読んでいるのか定かではない。いつ読み終わるのか予想もできない。何の本だろうか、あなたが、心を奪われるそれは。柔らかな髪の一房が頬に触れても気にしない。あなたを目的地へ運ぶこの大きな箱が、ぐらりと揺れても気づかない。まるであなたには僕は見えていない。まるで僕とは違う世界に存在している。むせ返る夏の人いきれの中で、あなただけはさながら、天の川の涼やかさをまとった清廉な世界に生きている。あなたは箱の中身の、そして僕の生きるこの世界の、特別だ。
 この乗り物が傾ぐたび、あなたは波にさらわれ、あるいは霧に覆われて、僕の前から消えそうな気がする。そうしてあなたは、あなたが夢中になっている物語の世界へと、ぼちゃんと潜ってしまうのだろう。人魚のように、天使のように、それは優雅に美しく、その御身のふさわしい世界を目指すのだろう。
 僕はあなたを羨む。この世界にありながら、この世界から半分逃避しているあなたをうらやましく思う。僕は残酷な現実から逃げられないが、あなたは逃げようと意識するまでもなく、己の理想郷を得ている。
 あなたの口元は柔らかく微笑んでいる。あなたの眼差しは未来を求めて輝いている。僕にはそれが、とても眩しい。たとえ薄暗い学び舎の片隅にあっても、あったとしても、あなたの眼差しは誰にも、何にも、妨げられない。
 何よりも尊く、何よりも美しい。そうあってほしいと、勝手な想像を押し付けてしまうことを許して欲しい。あなたが僕と同じではないだろうかと、同じものを感じ、見ることが出来たらどんなにいいだろうかと、夢想することをどうか、許して欲しい。
 僕は海を見ている。あなたを盗み見ながら海を見ている。誰も気づかない炎の揺らめきを隠したまま、僕はあなたに恋をしていた。

夏のあなたは美しい。
夜の帳が落ちるころ、あなたはあの丸い月に手を伸ばす。美しいものを美しいと言ってやまない、あなたの素直さが美しい。わたしは宵の不知火となって、漣に揺れる月を愛するだろう。決して手が届かぬと知っていながら、それでも愛することをやめたくはない。


花京院 典明|ジョジョの奇妙な冒険 第三部