式の間中、わたしはずっと泣いていた。
自分の旅立ちの日が悲しかったわけではないが、周りからはそう思われていたようだった。付属の高校だから、同じ大学に進むのは同級生の半分に上るのではないだろうかとも思う。にもかかわらず泣いているのだから、わたしは傍目に、よっぽどの感激屋に映ったに違いない。
わたしは何も悲しくなどなかったと思う。
なぜ泣いているのかといえば、きっとやるせなさのために違いあるまい。
かつて望んだ未来があった。手に入れたいものもあった。
愛していた。
それらがすべて過去となり、今わたしの腕をすり抜けていく。すり抜けていくことを知りながら指の一本も動かせない。
格好をつけて、すました顔して、何もできない間に今が過去になっていく。
もう戻らない。取り返しなどつこうはずもない。
後悔は一瞬ごとに膨れ上がっていく。今、手を伸ばせばすべてを手に入れられるかもしれない。
何度そう考えたことだろう。
数を重ねるごとに、それは遠ざかっていくばかりだというのに。
おそらくこれからのわたしは、この季節が来るたびに彼のことを思い出す。思い出しては己の行動を、これ以上ないほどに後悔するだろう。そして己を詰り、そうすることに一生付き合わなければならない絶望を味わうに違いない。たとえそれが甘ったれた自傷に酔う行為に過ぎないと知っていても、そうすることから逃れられないのだろう。
そう考えていながら、反面わたしは確信していた。いつかこの痛みも消える。消えてしまう。望むと望まざるとにかかわらず、わたしの記憶は失われる。
それが年を経るということであり、生きていくということなのだ。いつか彼の声音を忘れ、そのうち顔すら思い出せなくなり、名前もおぼつかなくなる日が来るかもしれないのだ。
抗えない。圧倒的な時の暴力に、おそらくわたしは打ち勝つことはできない。
それはきっと、誰もがその人生で味わう敗北なのだろう。
世界は、残酷なのだ。
承太郎がいなくても、わたしの世界はあっという間に色を取り戻してしまうに違いない。
わたしにとって承太郎は必要不可欠な人間ではないし、承太郎にとってもわたしは、同じく必要不可欠ではなかったのだろう。
それでも今この瞬間、確実に世界は灰色だった。
永遠に色を失い続けるさだめにあると、信じていた。
帰り道、わたしはずっと歩いた。泣きながら、菜の花の咲く川べりをずっと山手のほうへと歩いていた。
これでよかったのだ。
きっと、これでよかった。
いつまでも、涙を流せる気がした。
どこまでも歩いていける気がした。歩いていかなければならなかった。