メロンコリーそして終りのない悲しみの始まり

(僕が最後に見たのはなんだっただろう。空の色など覚えてもいないし、走馬灯というものを感じた記憶もない。五感のすべては失われつつあったけれど、きっとこの魂は、魂でしか感じ取ることができない何かを、受け取ったに違いないと信じたい。その何かはとてもあたたかくて、やわらかで、きっと過去に、生きているうちに僕は間違いなくそれに触れたというのに、もう何一つ思い出せない。ああ、こうして何もかもを失くしてしまうのが死であるのならば、僕はやっぱり、死にたくない――死にたくなんて、なかったのだ)

 あの日、薄紫色の空は静かに凪いでいた。それはまるで海のようで、けれど炎のゆらめきのようにも見えた。

――すみません。

 花京院典明は死んだ。死んだはずの少年は後ろ髪を引かれるように一度、地上を――おそらく地上のあるだろう方を、振り返る。目に映る何もかもが、波間をたゆたう魚のように揺れていた。
――すみません、先に、行ってください。
 モハメド・アヴドゥルとイギーは、旅の仲間が妙なことを言い出したのを、目を丸くして聞いていた。もはや踏みしめるべき大地すら感じられないが、彼らは立ち止まり、振り返り、少年の唇が動くのを待っている。
 少年は、ただ誠実であった。嘘偽りのない魂の輝きだけが、そこにあった。
――用事があるんです。用事を、もう済ませることはできないかもしれないけど。思い出してしまった、いや、忘れられないんです。忘れてはいけないんです。
 眼下には青と緑の透明な渦がうねる。どこからか、星の砂のようなとげのある小さな粒が無数に湧き出て、砂の海をなしていた。だんだんと渦の中に呑みこまれていくような体の重みを感じる。すでに物理的な肉体から分離したはずなのに、なぜ自分は、閉じ込められるような不快感を認識するのだろう。と、彼はぼんやり考えていた。
――そうか、ならば止めはしない、行ってくるといい。
 熱っぽく語ったつもりなど少年にはなかったが、一人と一匹の顔にはそれぞれ納得したような、呆れたような色が浮かんだ。性悪のボストンテリアは、理解すら及ばぬと言わんばかりに鼻を鳴らす。名残惜しさからか典明がそれに手を伸ばそうとすると、イギーは顔をそむけた。これが性悪のゆえんだ。
 アヴドゥルは笑った。
――なに、向かう先は同じで、共に往くかどうかの違いだ。遅いだとか、早いだとか、そういう考えなどないに等しい。いずれ時間という言葉の意味すらわたしたちには不要になるのだから。
――はい。そうですね……。こう言うと、なんだかおかしいかもしれないですけど、お元気で。
 アヴドゥルは軽く片手を上げて返礼した。
 すでに典明は、せりあがってくる砂の渦に胸のあたりまで飲み込まれていた。圧迫されているというより、小さな手のひらに引っ張られて、飲み込まれている。そんな感覚だった。だけど苦しい。これは肉体の苦痛だろうか。それとも魂のそれなのだろうか。
 イギーが後ろ足で顔をかいている。それを最後に何も見えなくなってしまった。

 目を閉じればそこにはあたたかな夜の星が広がっている。厚みのある闇を潜り抜け、緞帳をたくし上げ、彼は奥の方へ、下の方へ、内側へ、静かにその魂を滑らせる。
 誰かがすすり泣く、それが聞こえる。
――ごめんね。君を、一人にしてしまう。本当に、ごめん。
 この言葉は届かないことを知っていた。その頬に触れられないことも知っていた。
 知っていても、口にせずにはいられなかった。手を伸ばさずに、いられなかった。