あの人は、わたくしが当時の首相のお邸にお勤めしていた頃、初めて出会いました。もうご存知だと思いますけれど、あの人は……暗殺をするためだけに作られた人造人間です。人が生まれる場所や親を選べないように、わたくしたちも作られる目的を選ぶことなどできません。
 ……いいえ、わたくしたちはそもそも人のためにあるように作られるのですから、その目的に反する存在のありようなど、選び取ることなど不可能です。わたくしはわたくしのあり方を辛いですとか、不幸であると感じたことはありません。ですが、初めてあの人を、ユリウスを見たとき、こんなにも悲しい生き方があっていいのでしょうかと……恨まずにはいられませんでした。
 ユリウスは首相の命を受けて、首相にとって不都合な方々を……。そうです。当時は犯人の手がかりすらつかめず、警察は無能であるというニュースばかりが流れておりましたね。
 
 わたくしは直接話したりするほど、彼と親しかったわけでもありません。
 ですが、ある日わたくしが外へ買い物へ出た折に、見知らぬ方達に乱暴されそうになったことがありました。そのとき、彼が助けてくれたのです。“仕事”から戻る道すがら、といった感じでした。助けてくれたのはわたくしの姿に見覚えがあったから、だそうです。でもきっと、男の人たちに絡まれているのがわたくしでなくても、彼は助けて差し上げたんだろうと、今でも思います。
 ええ、覚えています。ありがとうございますとお礼を言っても、何も言ってくれなかったこと。本当はもっと早く帰れるはずなのに、わたくしの歩みに合わせて、三歩先を歩いてくれていたこと。優しい方なのだな、と、思いました。
 それ以来、邸の中で言葉を交わすことも増えました。暗殺のために作られたものですから、ユリウスは一般的な知識がわたくしほどには備えられていませんでした。
 窓の外を指して、あれはなんだ、と彼が聞き、わたくしが、あれは雲雀です、などと答えるのです。あの頃が彼にとって、安らぎと呼べるものであればと、わたくしは願っています。

 こんなことがありました。
 玄関ホールに飾ろうとしていた花を運んでいると、ユリウスが尋ねるのです。
『どうしてそんなものをわざわざ置くんだ?』
 ユリウスにはありませんが、わたくしには一般的な人間と同じ、美醜に対する感覚センサーと処理プログラムが搭載されています。美しいものを見れば快感指数が上昇しますし、そうでないものを見れば不快指数が上昇します。
 彼にとっては、美しいものもそうでないものも、全部同じなのでしょう。
『花を見ると、心が安らぐんですよ』
『そういうものなのか……』
『ええ。それに、季節によって咲く花も違います。移り変わる自然を見るのもまた、素敵なことですから』
『なぜだ?』

 それはおそらく、人の一生に限りがあるからこそ生まれる感情なのでしょう。
 わたくしたちには半永久の命が備わっています。一秒も一日も一年も、さほど差異のある時間単位ではないのです。わたくしには理解できても、ユリウスには難しかったようです。
 わたくしは彼を愛しました。ですが、これもまた人にのみ許された感情なのでしょう。ユリウスにこの感情を伝えたところで、何かが変わるわけでもありません。ですからずっと胸のうちに――ふふ、おかしいですね。わたくしたちに感情プログラムはあっても、心などないと言うのに……。
 わたくしはこの、プログラムのバグを、ずっと誰にも言わずに放置していました。

 首相が逮捕され、ユリウスが姿をくらましたのはそれからすぐのことだったように思います。わたくしは青木様にお世話していただいて、次のお勤め先へと向かいました。
 彼とは、もう数十年も会っていません。
 どこにいるのかも存じませんし、そもそもまだ“稼動”しているのかもわかりません。
 ですがきっと、かれはどこかで生きていると信じています。
 わたくしのこの胸の疼きが、まだここにあるように。