虹のワルツ

29.心が変わるその音を聞いた(琥一)


さて、どうしたものか。と考えながら“事件現場”に向かうと、なんのことはない。すでに他校の連中とやらは立ち去った後で、助けを求めていたはずのクラスメイトはのんびりとソフトクリームなんかを食っていた。
さすがに、なんだそりゃと思って俺を連れてきた奴を睨むと、一瞬ひるんだ後に「……一緒にまわる?」と聞いてきた。何が楽しくててめえなんかと。そう言おうとしたら、制服のポケットが震えた。
『俺たち先に行くけど、夏碕ちゃんが待ってるからな』
琉夏だった。
ということで俺は本当に何事もなくその場を後にして、元居た場所へ戻るハメになる。

なんで一緒に行かなかったんだアイツ。
と、心中では悪態をつきながら、でもなんとなくわかる。アイツなりに考えているのは、修学旅行前のいざこざを何とかしねえと楽しむものも楽しめないとか、大体そういうことを考えているんだろう。生真面目な奴。
アレは俺が悪かっただけだ。あいつが割を食うことも、ないだろうに。

さして時間をかけずに戻ると、瑞野はベンチに座ってガイド本に視線を落としていた。アイツはいつも、どこに居ても背筋をまっすぐにしている。それが目立つし、でもそのせいで近寄りがたい。ちょっとくらい肩の力を抜くとかしねえんだろうか。
声をかけることなく近寄ると、瑞野の顔が上げられた。
「あ……」
なんと言って良いものか迷っている顔だった。俺も同じだった。別に待ってろって言ってたわけじゃないから、謝るのも変だな。そう思って「なんでルカたちと一緒に行かなかったんだよ」と言おうとすると、
「おかえり」
だから、待ってろって言ってねえだろ。
「早かったね」
「あ?結局俺が行ったときには他校のヤツら、いなかったからな」
「そう……。でも何もなくて、よかった」
いつもよりぎこちなく笑うのが俺の所為だってことはわかってる。ただ、それがわかってるからって俺が何かできるわけじゃない。
「琥一くん」
「なんだ」
瑞野の左腕がすっと伸ばされた。
「襟が曲がってる」
開襟シャツの曲がりを直している(だろう)腕に、きらりと光るものが見えた。オーバーサイズのカーディガンなんか着てるせいだ、腕を上げると袖が二の腕のほうに落ちていく。
俺は水色のキラキラした固まりを見ていた。多分ずっとひっかかっていたこと。
「…………なくしたくなかったの」
俺の視線に気づいていたんだろう。瑞野はためらいがちに言った。
口下手な女だ。でも俺にはそれで丁度いい。大体、人のこと言えたもんじゃないから。
その一言で十分、俺は思い知ったんだから。俺が無意識のうちに、気にしていたこと。こいつがこの、ブレスレットを学校につけてこないことに、少しだけ腹を立てて拗ねていたこと。瑞野がそんな俺に気づいていたこと、気にしていたこと。

「で?」
「え?」
「どこに行きてえんだ?」
目の前には、緩やかなカーブを描く丘陵線がある。黄緑色の絨毯の前で「少年よ大志を抱け」と言っている銅像は正直、ミスマッチだと思えてきた。
瑞野は、俺が言い出したことが意外だったのか、一瞬きょとんとしてから口ごもる。
「ええと……」
ガイド本を丸めて握りこむ瑞野が俯いた。
「笑わない?」
どこにつれてくつもりだよ。
「内容次第だな」
「じゃあ、いい……琥一くんが行きたい所に行く」
「……ったく、笑わねえよ。ほら」
ため息混じりに促すと、瑞野はちょっとためらってから、ガイド本で口元を隠してぼそぼそと呟いた。
「オルゴール堂……」
ベタだな。散々もったいぶった後だと、やっぱり笑いそうになって、慌ててこらえる。
「んじゃ、行くか」
「ん……」

小樽にあるそこに移動する間、瑞野が言ったことは、ポエムみてーだと思いながらもなんとなく納得させられるようなことだった。
『光の粒とか、水しぶきの一つ一つが、はじけて消える瞬間みたい。だから、オルゴールが好き』
シャボン玉が割れる瞬間の音とかか?と言ったら、「ああ、それもそうかも。感覚が似てるのかな」と返された。
どうだろうな。俺はどうして、そうならいいのにと思うんだろう。

確かにオルゴール一つなら、そういう音だ。
ただ、オルゴール堂の中に入るとしゃらしゃら、しゃらしゃら、そんな感じがする。たくさんのオルゴールが一斉に鳴っているのは、ちょっと怖いかもしれない。
テーブルの上に飾られたオルゴールを、食い入るように見ている瑞野を見ていた。真剣な顔。
冷房の効いた室内が寒いのか、指先を下唇に当てて暖めようとしてる仕草。
長いカーディガンの袖口から、申し訳程度に覗く指先。
しゃらしゃら、しゃらしゃら。
耳鳴り。

目印になりそうな時計のある広場で、休憩がてらコーヒーを飲んだ。
「ごめん……長居しちゃって……」
寒さに耐え切れなくなったと言って出てきた瑞野は、結局何も買っていない。
「別に。それより何も買わねえのか?」
それが、と口ごもりながらレモンティーのペットボトルに蓋をする。睫が長い。
「その、いっぱいありすぎて迷うから……」
まぁそれもしょうがないかもしれない。俺には全部同じに見えるけど。
気分よく晴れた空からの日差しで寒さが和らいだらしい瑞野は、次はどこに行こうかと言い出す。なんだ、買うのあきらめたのか。
「お前……せっかくだから何か買って行けよ」
「…………でも……」
しょうがねえな。俺は立ち上がって、体育祭のときにそうしたようにコイツの頭を小突いてやった。
「俺が選んでやる」

どうやら瑞野は、宝石箱みたいになっているものが欲しいらしい。中に何を入れるのかは、まあ聞かないでおこう。
カメオつきのゴテゴテしたやつとか、派手な色合いの陶器のとか、シンプルな白いのとか。色々種類があるんだなと感心しながら、
「これ、お前っぽいな」
俺が選んだのは、白いオーバル型でアンティークゴールドの装飾がついたものだ。俺の好みじゃあないが、コイツにはよく似合う。
「じゃあ……これにする!」
大事そうに展示見本を抱えて、瑞野は俺に笑いかけた。
選んだ曲は『虹の彼方に』。オズの魔法使いの劇中歌、クラプトンがカヴァーしたこともある曲。万人受けする曲だなとつまらなく思ったが、コアな曲をオルゴールにしたところでどうしようもないだろう。

バスを待っていると、瑞野が鼻歌でメロディーをなぞるのが聞こえた。出だしの、一番有名な部分。どうやら世間一般と同じく、コイツはそこのメロディーしか知らないようだった。俺は揶揄するように挑発してみる。
「簡単な曲なんだから歌えるだろ」
「え?だって歌詞知らないもん」
「マジか?」
「まじ」
飲みかけのペットボトルの蓋を開けながら、笑っている。
「教えて?」
「あ?……あーと、Somewhere over the rainbowだ」
「……歌ってくれてもいいのに」
「歌うかよ」
「簡単な曲なんだから歌えるでしょ」
「ほら、バス着たぞ」
「あ、ずるい」

20100808