虹のワルツ

40.歩みは遅く、鼓動は早く(夏碕)


まさか正月早々こんなことになるとは思わなかった。
「コウ、次どうしたらいいの?」
「次ってお前、肉も切り終わってねえだろが」
「はいっ!レタスちぎったよ!」
「おう。って、芯ついたままじゃねえか!」
ダイニングの椅子に腰掛けて、私が見ている先には琥一くんと琉夏くんと美奈ちゃんが揃って料理をしている。というか、料理をしているのは琥一くんで、二人はお手伝いをしていると言った方がいいかもしれない。
「ええ?芯、とった方がいいの?」
「あーそうしとけ。おいルカ、肉切ったか?」
「切ったよ?次はタマネギ切ればいいんだろ?」
「次じゃねえ!先に切っとけよ……ああもう、貸せ。一回洗うから」
「細けえなあ、コウは」
いや、琥一くんが正しいと思う……。というか、琥一くんって料理できるんだ、意外。
「レタスの芯ってそんなに固くないと思うけどなあ……」
美奈ちゃんは不満をこぼしながらレタスをちぎったりトマトを洗ったり、琉夏くんは琥一くんに叱られて(いる割には)鼻歌を歌いながら佇んでいる。琥一くんだけが料理してると言った方が一番適切な気がしてきた。
「あの……手伝おうか?」
見かねて声をかけると、三人は揃って「座っとけ」「大丈夫だよ?」「コウに任せてればいいよ」と、一部無責任だけど私を気遣っての発言が飛び出す。
「バカルカ、お前も手伝うんだよ」
「だってコウ、まな板と包丁持っていっちゃったじゃん」
「肉でも炒めてろ」
二人のやりとりから察するに、本当に琉夏くんは家で何を食べているんだろうかと心配になってくる。ああ、琉夏くんがこんな風だから、琥一くんが料理上手にならざるを得なかったのか。妙に納得。
「了解。ええと、フライパンと……」
「あ、一番右のシンク下の戸棚……」
フライパンを求めて右往左往している琉夏くんに場所を教えようとした私は、三人の様子に思わずため息をこぼしてしまった。
「おわっ!?お前ぶつかってくんじゃねえ!」「ええ?コウがでかいから邪魔なんだって」「二人ともどっちもどっちでしょ」
確かにうちのキッチンは広くはないから、三人も並ぶと逆に作業しにくいだろう……そのうち二人は平均より大きいし……。
「やっぱ……私がやる」
立ち上がってシンクの方へ行き、とりあえずまずは琉夏くんに椅子に座るよう促した。ものの、そう易々とは言うことを聞いてくれない。
「うーん……じゃあ、そこの食器棚からお皿とか選んで出してくれる?」
どうしたものかと思って、駄目モトで頼んでみたら意外に食いついてきてくれた。
「わ、たくさんあるね?俺が選んでもいいの?」
「うん、お願いね。センスの見せ所だね」
設楽先輩よりは断然動かしやすい。いや別にバカにしてるとかじゃなくて。
次は美奈ちゃん、と思ったけど、彼女は進んでサラダの盛り付けをテーブルの方で始めている。琉夏くんと二人で食器を選びながら楽しそうだし、こっちは任せておいていいだろう。
「先にコレ炒めるね」
「あ?おう」
タマネギのみじん切りをしている琥一くんの横でフライパンを用意して、琉夏くんが切った不恰好な鶏肉を炒め始めた。止められるかと思ったけど、二つ返事でOKされてちょっとだけ拍子抜け、でも嬉しかった。
「サラダはこのお皿でいいだろ?」
「それは大きいよ、もっと小さいのにして」
「じゃあ俺とコウがこれで、オマエと夏碕ちゃんが、そうだな……こっちは?」
「琉夏くん、今日は野菜食べるんだ?」
「まぁね?」
後ろで繰り広げられる会話が楽しくて、ふっと笑ってしまった。
晩御飯はオムライスらしい。誰が言い出したのか知らないけど、多分冷蔵庫の中にあったものがオムライスの材料にぴったりだったんだろう。
「ほれ、タマネギだ」
「はい」
琥一くんがまな板を傾けて、綺麗にみじん切りにしたタマネギをフライパンに入れてくれる。すごい、私が切るよりも大きさが揃ってるかも。っていうか……
(近い!)
そうしなきゃいけないんだけど、斜め後ろのくっつくくらい近くに琥一くんがいるというのが、恥ずかしいと言うか、別に恥ずかしいことなんてないはずなのに恥ずかしくてしょうがない。木ベラを動かす右手を止めないように、私は冷静なフリをする。
「サラダの盛り付けできたよ」
「おう、ラップかけて冷蔵庫に入れとけ」
美奈ちゃんが声をかけて、琥一くんは返事をすると私から離れていった。すごく落ち着いた声で、気にしてるのは私だけかって思うと今度こそ恥ずかしくなった。意識しすぎだ。落ち着け私、無心でタマネギを炒めるんだ。材料を炒めて、塩コショウで軽く味付け。後はご飯を入れればチキンライスが出来る。すでに炊き上がっている炊飯器のご飯を入れるために一旦コンロの火を止める。
「ほら、飯入れるから代われ」
大きなボウルに入った大量のご飯を片手に、琥一くんが私を押しのけるようにコンロの前に近づいてきた。別に私だって出来るのに、というと、
「量が量だろ。俺にやらせとけ」
ひょいと木ベラを奪われてしまった。仕方ない。私は冷蔵庫から卵を出した。
「おなか減ったー」
いつのまにか椅子に座っていた琉夏くんが安穏とした声を出す。
「そんなすぐ出来るかよ。大人しく待ってろ」
「はーい、お父さん」
返事をしたのは、琉夏くんの横にいる美奈ちゃんだった。お父さん、と言われた琥一くんが一瞬戸惑ったように手を止めたのがちょっとおかしかったので私が笑うと、目ざとく気づいた琉夏くんがこんなことを言い出した。
「あ、ママが笑ってる」

がしゃん

「……大丈夫?」
卵を割ろうとしてボウルの縁にぶつけようとした手に余計な力が入って、私は卵をボウルに激突させていた。ぐちゃぐちゃになった卵の中身と、殻の破片で右手がぬるぬるに汚れてしまっている。
大丈夫、と聞いた美奈ちゃんは笑いそうなのをこらえているみたいだった。変なこと言うから!と、私が後ろを振り返ろうとすると、お父さん、もとい、琥一くんと目が合ってしまった。でもそれも一瞬で、すぐにお互い、顔ごと背けてしまう。
すると後ろから、今度はこらえ切れていない含み笑いの声が聞こえてくる。
もー……二人とも……覚えておくがいい……。

オムライスを一つずつ仕上げてテーブルに運んでいくと、琉夏くんと美奈ちゃんはケチャップで絵を描いているみたいだった。
まず最初に仕上がったオムライスに、美奈ちゃんがゆっくりとケチャップを絞っていく。仕上がったのを見て、琉夏くんが嬉しそうに笑った。
「あ、これ俺の顔?」
「うん!どうかな?」
「似てる。俺も描いていい?」
「いいよ?何描くの?」
「ちょっと待って…………ハイ」
琉夏くんは美奈ちゃんの分のオムライスに鹿……バンビらしき生き物を描いていた。決して上手いとはいえないけど、妙に味がある絵だった。琉夏くんは自分のオムライスの隙間にもイルカを描くと、琥一くんの分にはクマを描いて、私の分には何故か白鳥(ダチョウに見えたけど、後で聞いたら白鳥とのこと)の絵を描いた。いずれも妙に憎めない絵柄の。それが終わると更に美奈ちゃんが対抗して、余ったスペースに全員分の似顔絵を描いていった。
「……んだこりゃ、ケチャップまみれじゃねーか」
並べられたオムライスを見てげんなりした琥一くんの言うとおり、テーブルの上には四人分の真っ赤なオムライスが出来上がっていた。
「あ、食べるの待って。写真撮る」
美奈ちゃんがポケットから携帯を取り出して、全員分のオムライスをパシャパシャと写している。
「早く撮れよ、腹減ってんだよ」
呆れた琥一くんの分を最後に取り終わると、「後でみんなに送るね」と言いながら美奈ちゃんも席についた。
ほとんどケチャップの味のオムライスと、なんだか前衛的な盛り付けのサラダを食べながら、また琉夏くんは変なことを言い出した。
「パパもママも料理上手で俺、ラッキー」
でも私だって二度も取り乱したり、醜態を見せたりはしない。
澄ました顔で琉夏くんに向かって口角を上げて見せると、彼は拍子抜けな顔をしていた。
「あれ?」
ふーん、だ。

20100910