虹のワルツ

キャンプファイヤーの火の粉は、導かれるように空へ舞い上がり、あっという間に消えていく。まるで天に召される光の粒のように見えて、幻のように綺麗。
パチパチと不規則に爆ぜる音を聞きながら、長い長い一日が今終わろうとしているのをただ感じるだけ。立ち尽くしたまま、感じているだけ。
心の中はとても穏やかで、遠い彼方に沈んでいく夕日だけが、ただ私の心と同じように名残惜しさを抱えたままいつもどおりの夜をつれてくる。そんな、気がした。
ときどき肩からずり落ちそうなガウンを直しながら、まばたきを一つする。今夜きっと、心地よい眠りを誘ってくれる疲労感すら、手放すのが惜しいくらいだと思った。

今までの中で、一番楽しい学園祭だった。
きっと三年間の中で一番楽しい日だった。

「ちゃんと仲直りしたかなぁ、あの二人」

琉夏くんは独り言のように呟く。
誰かに答えを聞きたいわけでもないし、共感してほしいわけでもない、そんな声色に私も微笑んだ。仲直りしたことを確信している、そんな気持ちがにじんだ声だったから。
どうして当事者でもないのに、自信があるの? って聞かれても、上手く答えられない。二人とも、何にも言ってくれないから、本当のところっていうのはわからない。
だけど、傍から見てるほうがよくわかるってことも、あるって信じてるんだ。

82. 夢見の果てで (美奈子)





「仲直りどころか、捕まえちゃった勢いでいっそ、くっついちゃってたりして」

喉の奥で笑いながら、私は琉夏くんがしたように行き場のない言葉を投げた。

「あぁ、ありうる。コウは野獣だから、お姉ちゃん食べられちゃったりして」

彷徨っていた台詞は、琉夏くんの笑い声に絡めとられてしまう。こっそり見上げた横顔の、綺麗な唇が穏やかに緩んでいる。
やっぱり、琉夏くんと琥一くんはとってもいい兄弟だってわかる。照れ隠しでつっぱってみせても、二人とも優しいんだもん、喧嘩したあの雨の日からだって、いつも気にしてたの、私は知ってるよ。
心の中まで、人は嘘つけないんだと思う。興味ないフリしてても、無意識に目で追ってる姿を何度も見てた。琥一くんと、夏碕ちゃんもそうだった。
胸が苦しかったよ。
ぼんやりと廊下を眺める姿。通りがかったりするんじゃないかって、期待してる姿を見るたび、どうして二人はこうなっちゃったんだろうって、悲しくてしょうがなかった。
ちょっと無理してるのを自覚しながら、私は琉夏くんに笑いかけた。

「野獣かぁ……。あ、美女と野獣?」
「ああ、まさにソレだ」
「もう……琉夏くん、失礼だよ」
「ええ?オマエが先に言ったじゃん」
「言ったけど、私はそんなこと思ってないもん」
「またまた。ほら、正直に言ってみ?コウには黙っとくから」
「思ってないってば。もう……あ、でもね――」

風に煽られて、炎が大きく揺らぐ。
片手で髪とティアラをおさえて、吹き抜けた風を見送った。

「美女と野獣ね、子供の頃にビデオで見たけど、野獣はとっても優しいんだよ」

優しくって、大きくて、強くて。だけど好きな人の前では、ちょっぴりかわいいんだ。誰かさんとそっくりでしょう?
琉夏くんはもう何も言わなかった。だけど、考えてることはなんとなくわかる気がした。
『だったら、なおさら美女と野獣だ』 って思ってるんじゃないかな。
それに、美女と野獣でもそうじゃなくてもお似合いだし、幸せになって欲しいって思ってるってことも。
きっと私と同じこと考えてるって、信じてるから。

キャンプファイヤーの周りで、みんなは語り合ったり写真を撮ったりしている。
楽しそうな笑顔に隠しているのは、きっと名残惜しい気持ち。
指先が触れるか触れないかの距離を保ったまま、私たちはどんどん見えなくなる夕日を眺めていた。
夕日が姿を消すと、今度はキャンプファイヤーの炎がみんなの顔を赤く照らした。まだ早い時間なのに、11月の空は暗く、肌寒い。

ときどき、傍を通りがかる人が私に笑いかけたり、褒めたりしてくれる。
このガウンはみんなが私を認めてくれたってことなのかな。
カレンやミヨは、『ローズクイーンは全生徒の憧れ、希望』 なんて言ってたけど、私はそういう存在だって、思われてるんだろうか。
何も寂しがることなんてないはずなのに、私はわけもなく寂しくて、琉夏くんの手にそっと触れてしまう。ちょっとびっくりしたように、琉夏くんが私を見下ろしたような気がした。だけど、どうしてだろう。私は見上げて目を合わせることができなかった。
琉夏くんは、それでも当たり前のように、綺麗で大きな手で、力強く私の手を包み込んでくれた。
温かくて、頼もしくて、やっぱり琉夏くんは、私がいなくてもちゃんとしっかり、やっていけるんじゃないかって思ってしまう。
女王様って言われても、みんなからすごいって褒められても、私は琉夏くんの抱えている気持ちがわからない。
わからないから、琉夏くんがどうして危ないことをしたのか、今も遠くを見るような目をする訳、忘れられない悲しそうな顔に隠されていたもの、その全てが知りたい。
琉夏くんの全てが知りたい。
ミヨが言ったとおり、知りたいなんて言葉は私だけの、エゴなのかもしれない。そんなことをして、琉夏くんを引っ掻き回して、その結果私が何もできないって、そうなってしまったら――それは傷つけただけで終わってしまう。
だから、強くなりたかった。
琉夏くんの全てを知っても、隣にいられるようになりたい。
あの日、あの雨の日に、泣きじゃくりながら『琉夏くんに頼ってもらえるくらい、強くなるから』って言ったことを思い出すと恥ずかしくて顔から火が出そうだけど、それが私の精一杯の、嘘偽りのない想いだから。

琉夏くん、私は今日、みんなにすごいって言われたよ。
自分では、ちっともすごくなんかないって思ってるから、なんだかむやみやたらに持ち上げられて、一人ぼっちになっちゃった気分だよ。
女王様になっても、まだまだ私、ちっぽけなままってしか、思えないよ。

楽しかった学園祭の最後にこんな風に落ち込んでるのは私だけかもしれない。……落ち込んでるっていうか、周りの声にちょっと疲れちゃった、そんな感じ。
嬉しくない、なんてことは考えてない。だから頭を振って暗い考えを吹き飛ばそうとした――その瞬間、グラウンドに設置されていたスピーカーがノイズ混じりに唸った。
少し間が開いてから流れてきたのは、オクラホマミキサーだった。

「あれ、フォークダンスの曲だ」

琉夏くんの手から、少しだけ力が抜ける。私も同じように、なんだか体から力が抜けていくみたいだった。
さっきまで真剣に考え事してたのに、のんびりとしたメロディーは心を溶かしていくようで、琉夏くんが小さく笑うのが聞こえた。そんな些細なことが嬉しくて、私もつられて笑い声をもらしてしまう。

「毎年恒例だよ。学園祭の、最後はこうやってみんな、踊るんだよ」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。……そういえば、こうやって最後まで一緒にいるのって、初めてだよね」
「……そうだな」

また、つながった手に力がこめられた。
唇からこぼれそうになる想いをこらえるように、きゅうっと結ぶ。
琉夏くん、あのね、琉夏くんが優しい笑顔で私にティアラを載せてくれたとき、私本当に嬉しかった。
女王に選ばれたことより嬉しかったかもしれない。それに、みんなからおめでとうって言われたのが、まるで私と琉夏くんの仲に太鼓判押してもらえたみたいで。
それだけで、心のもやもやが飛んで行っちゃうくらい幸せだって思えたよ。
ほんの少しだっていい、琉夏くんが私のことを特別って思ってくれてるなら、私はもっと強くなれる。
強くなろうって、がんばろうって、思えるから。

「あのさ、美奈子――」
「あれっ、バンビ?踊らないの?」
「カレン、」

背後から声をかけてきたのは、カレンだった。一緒にいるのは不二山くんと新名くん。
二人ともずいぶん疲れて見えるのは、きっと毎年柔道部がやってる百人掛けのせいだと思う。その姿にお疲れ様とねぎらいの言葉をかけると、不二山くんは小さく笑った。

「よ。発表には間に合わなかったけど、女王だってな」
「美奈子さんマジすっげーや。あ、写メ撮っていい?」
「アンタ、何しに来たのよ……」
「だって美奈子さんがローズクイーンっすよ?マジパネェ!ティアラもガウンもすっげ似合ってっし!」
「うん。小波、女王の風格あるぞ」

呆れるカレン、はしゃいでる新名くん、そして感心したような不二山くんにも、ありがとうって笑いかけた。
琉夏くんは言いかけた言葉を飲み込んで、ただ静かに笑っていた。目を細めたその姿が、なんでだろう、すごく遠くに感じてしまう。

「そんなこと、ないよ」

やっぱり――こういう風に遠ざかってしまうから、それをどうすることもできない私は、周りからどう言われても女王には程遠いんじゃないかって思ってしまう。
考えすぎだって言われるに違いないけど、私が思う“女王様”なら、“希望”とか“憧れ”とか言われる存在なら、琉夏くんのこと――一番大好きな人のことだって、思ったままに感じたままにつなぎとめられるはずだから。

だから、

「ね、カレン!ちょっとこれ、預かってて!」
「え?――わっ!ば、バンビ!?」

黄昏の空に、真紅のガウンが舞う。

「琉夏くん、踊ろう!」

目いっぱいの力で琉夏くんの手を引いて、燃え上がる炎めがけて走った。
今はまだ自分自身に納得できない私の、精一杯の勇気を出して。等身大の私にできることはこれだけ。でもこれが、等身大の、ありのままの今の私が一番したいことだったから。
揺れる炎に照らされながら見詰め合う琉夏くんは驚いているみたいだった。だけどつないだ手は離さずに、きゅっと力をこめてくれる。
そうして、私に不思議そうに尋ねる。

「ガウン、どうして脱いだの?」
「……みんなには悪いかもしれないけど、やっぱり私、まだまだだから」

上手く言えなくてもどかしいのを笑ってごまかすと、琉夏くんも目を細めて笑ってくれた。本当は全部筒抜けなのかもしれない。でも、それでもいいと思う。
見上げた琉夏くんの顔は炎に照らされて綺麗で、青白い月の光を浴びていたロミオのことを思い出した。
私はシンデレラでも白雪姫でもないけれど、琉夏くんは本当の王子様みたい。
きっと女の子なら誰でも一度は憧れる、自分だけを迎えに来てくれる王子様。その、私にとってたった一人の王子様と見詰め合って、ロマンチックで幸せなはずなのに、息もできないくらいに切ないのはどうしてだろう。
私は琉夏くんと両手をつないだ。もう、この手が離れることがなければいいのにと願いながら。そうしてちょっとだけ気持ちを滲ませた、気取った台詞を言ってみる。

「それにね、女の子は女王様より、お姫様になりたいんだよ」

世界にたった一人の王子様だけの、お姫様に。

「――そっか」

琉夏くんはおかしそうに笑う。子供っぽいって思われてるに違いない。けど、それが本心なんだからしょうがない。
言い返そうとした私の目は、柔らかく微笑んだ琉夏くんを捉えた。


「だったら安心して。……みんなの前では女王様でも、俺にとって美奈子は、お姫様だよ」


炎の中で、くべられた薪が弾ける音がした。
それはきっと、私の心臓の代わりになってくれたんだと思ってしまう。そのくらい、心臓がつぶれちゃうくらい、幸せだった。

「今も、ずっと昔も。――多分、これからも」

私だって――

私だって、あの頃からずっと、心に思い描く人は変わらない。
ずっとずっと、好き。
背が伸びて、髪も伸びて、声が低く変わっても、こうして手をつないだら全部が昔に戻っていく。
私の目の中に、あの頃の琉夏くんがいる。
大きな目と優しい笑顔、彼は弾んだ声で教えてくれる。
妖精の鍵のお話。
ロマンティックなおとぎ話を、王子様が聞かせてくれる。
変わらない笑顔で琉夏くんが、私の手をとって踊っている。
まるで、夢みたい。
夢でも幻でもいいの。もう二度と忘れないから。
目が覚めても、忘れなければずっと心に残っているから。

もう日が暮れてしまったグラウンドに、たくさんの影が躍る。
学園祭の魔法はもうすぐ解けてしまうから、みんなが勇気を出して思い思いのペアを組む。
たくさんの王子様とお姫様たちが、最後の魔法にうっとりと酔っている。
宵闇すら焦がす炎はシャンデリア、制服はドレス、みんな王子様とお姫様。
その姿を、キャンプファイヤーの炎はいつまでも赤く照らしていた。
いつまでも、一瞬が永遠になる幻を焼き付けるように。


こうして私の、私たちの最後の学園祭は幕を下ろした。

20120716