虹村億泰

 残念なことにおれは物事をよぉ〜く考えるってのが苦手だ。そんなだからか、人があれこれ悩んでいるときも、おれは相手が何を悩んでいるのかさっぱりわからないことがよくある。現におれは今、目の前の連中が何をためらっているのかさっぱりわからない。
 初夏の昼下がり、オーソンの前に人影が五つ。おれを除いて三つは知った顔で、残りの一人、赤毛の女子は多分、初対面だ。
「だからよォ〜、それって“友達”ってことだろォ?」
 そういうと、知った顔三つ――仗助も康一も微妙な顔しかしねえし、由花子はまぁ、いつも俺とは目を合わさねえからいつもどおりなのかもしれないが、とにかくこいつも微妙に困ったような顔にも見える。
 残りの一人は戸惑ったような顔をしていた。
「オメーみてぇに単純ならそうなんだろうな」
 呆れたような顔の仗助に言われると、実際単純だという自覚があるにもかかわらずムカッとしてしまう。
「んだとォ!?」
「あー! もう! やめなよ、花京院さん怖がってるじゃないか」
 別に本気でつかみかかろうと思ったわけでもないけれど、康一の声にぴたりと動きを止めてしまった。
 言うとおり、花京院とかいう女の子は目を丸くして固まっていた。
 人形みてーな子だなぁ。
 どうしてそんなことを知ってるのか俺もよくわからないけれど、赤い毛糸の髪の毛を持つ手作りの人形のことを思い出した。店で売られてるような綺麗で高そうな人形じゃなくて、素朴で味わいってやつを感じる、そんな人形のような子だと思った。
「あ、わり……」
 俺が頭を下げると、花京院は首を横に振る。小刻みで俊敏な動きはまるで小動物にも思えた。中学生、ひょっとしたら小学生にも見える背の低さだからそう思ったのかもしれない。
 沈黙を破ったのは由花子だった。心底嫌気がさす、みたいなため息を吐くと、由花子は花京院の腕を引き、オーソンのドアを指差す。
「ねぇ、中に入りましょ? バカに付き合ってるとうつるし、大体ここは暑いもの」
「え? うん……」
「あ、由花子さんてば……ごめん、仗助くん」
「康一の謝ることじゃねえだろ」
 言うや否やすたすたと自動ドアのほうへ歩いていく、それを康一と仗助も追いかける。彼女は一度だけ、振り返ってはいけないあの小道のほうを、気がかりだ、みたいな顔して振り返った。まるでそこに誰かがいるのを知っているように。
 俺もつられて振り返る。けど、そこには人影どころか何もない。
 なんだったんだろうか。
「億泰、お前はトニオんとこ行くんだろ?」
 自動ドアの前で立ち止まった仗助の呼びかけに、今度はそっちを振り返る。仗助はコンビニに用事があるんだろう。
 どうすっかな〜。腹が減ってるのは確かなんだけど、なんとなく気にならないこともない。理由はよくわからねえけど。
 立ち止まったまま何も言わないおれを怪訝に思ったんだろう、仗助が肩をすくめていた。
「……ガム買ってくわ!」
 結局、おれもオーソンの中に足を踏み入れてしまうのだった。

§

 結論から言うと花京院千夏という女の子は俺以外の全員と顔見知りで、今日ここで全員が鉢合わせたのは偶然だった。
 トニオの店に行く途中だった俺と、おふくろさんから何か頼まれた仗助と、一緒に犬の散歩をしていた康一と由花子と、そしてオーソンにコピーをしにきた花京院。申し合わせたかのような遭遇は、でき過ぎと言えばそうかもしれない。

 おう仗助。
 なんだ億泰か。
 なんだって言い方はねぇだろよぉ〜。あ、おれ今からトラサルディに行くけどさァ、
 わり、おふくろから頼まれごとされててよ、早くかえんねーと蹴り飛ばされんだよ。
 あれ? 仗助君に億泰君。何してるの?
 おお康一じゃねーか。
 げ。由花子。……あ、いや、オメーらはなに? もしかしてデートってやつ?
 え、ああ、ボリスの散歩をしてる途中で会ったから、それで、
 それってデートってやつじゃねえの? なあ億泰。
 そうか? まぁ、そうかもなあ……。
 そうなのかな……。仗助君たちは?
 おれはおふくろのパシリ、億泰はトニオんとこ行くんだと。
 そうなんだ。
 ……あら、花京院さん?
 え?
 あ、こんにちは、山岸さん。
 あ。
 あ。
 あれ? 知り合い?
 知り合いっつーか……


 すげー偶然じゃねえか。俺が笑いながら言うと、仗助が微妙な顔をする。なんでそんな顔してるのか問いただすと、「だってよ、おれたちの全員と知り合いで、こんな風に鉢合わせて、それでも偶然って言えるのか? スタンド使いはスタンド使いと引かれあうっていうだろ?」だと。
「そうなのか? まぁ、そうかなあ……。けど、そこまで警戒する必要あるのかぁ?」
「相手がどんなスタンドかわからねえのに油断できるかよ」
 ペットボトル飲料の棚の前でコソコソやってると、ミネラルウォーターを選んでいたお姉さんが気味悪そうな顔をしてそそくさと立ち去っていく。
「でもそうやってよ、トニオのとこじゃスカだったじゃねえか」
 仗助はおれの言葉を聞いてぐうの音も出ないような顔になった。今ので思い出したけど、そういや俺は昼飯を食べに行く途中だった。とたんに空腹感が増したような気がする。そろそろ出ないと、と、思いながらも、もし花京院がスタンド使いなら俺もここに残ったほうがいいのかもしれない、なんて考えてしまう。
 けど――
「あっ」
 悲鳴のような声に振り返ると、花京院がコピー機の前で盛大に小銭をぶちまけたとこだった。あわあわとかき集める動きははっきり言ってドンくさいと言っていいレベルだし、拾い集めてくれるほかの客に、小声で「すみません」と繰り返すのも迫力に欠けるどころかそんなもの微塵もない。けどもしかしたら、人は見かけによらないってやつで、あいつはすっげー強いスタンド使いなのかもしれない。
 でも、俺にはそう思えなかった。それに、
「仗助、友達は信じるべきだと思うぜ、俺はよぉ。同じ街に住んで同じ学校に通ってりゃこんなことだってあるだろぉ?」
 それだけ言って、こっちまで転がってきた十円玉を拾い、俺は花京院のほうへ歩き出す。仗助が呆れたようにため息を吐く気配がした。
 一回喋ったくらいで友達面するのも気が引けるって言う仗助たちの言い分もわからねえでもない。花京院みたいなタイプは、親しくなるまでに時間がかかるタイプにも思えるし。
 でも別に、友達になった後に親しくなってもいいと思う。
「こっちにも落ちてたぜ」
「あ、ありがとうございます……」
 十円玉を受け取った花京院は、恥ずかしそうにうつむいた。
「俺、虹村億泰ってんだ。よろしくな」
「あ、あの、花京院、千夏です」
 何かに似ている。何かの小動物に似ている。俺はしばらくそんなことを考えながら花京院をしげしげと、そりゃもう失礼なくらい眺めてしまった。ようやく自分の行動に気がついたときには花京院は硬直していたし(怯えていたんだろうか?)、後ろから仗助に頭もはたかれた。
「いてぇ!?」
「なにジロジロ見てんだてめーは」
 いつの間にか仗助が俺の後ろに立っていた。力加減ナシの一発に後頭部をさすりつつも、まぁ確かに仗助の言うとおり、女子相手にこういうのは失礼だということに思い至ったので謝った。
「ごめんな」
「あ、はい」
 まだ緊張しているような花京院を仗助が笑う。
「こいつも同い年だし、気ぃ遣うことねーから」
「あっ、は――うん」
 多分「はい」、と言いそうになったのを慌てて「うん」と言い直したんだろう。必死さ、というか、一生懸命さが伝わるようで、でもどこかおもしろくて、俺は笑いそうなのをかみ殺す。
 すると向こう側から会計を済ませた由花子がツカツカと歩いてきた。
「あんまり付き合うとバカがうつるわよ……コピー、終わった?」
「あ、うん。あの、うつるって……」
「そのまんまの意味よ」
「そ、そうなの……」
 さすがに女子同士、俺らと話すよりも解れているというか気後れしていないというか、自然だ。それでも一般的な「自然」よりはずっとかたい。隣で仗助が由花子の台詞に青筋を立てそうになっていたが、俺はそのとき、花京院の挙動のほうが気になっていたので、由花子の暴言なんて別に気にしちゃいなかった。
 女どもがあれこれ話しているのを聞くともなく眺めていると、康一が飲み物一本だけにしちゃやけに大きな袋を持ってやってきた。
「どうしたんだ康一、それ……アイスかぁ?」
 仗助の言うとおり、康一の手には某高級アイスクリームの六つ入りパックが一箱収まっている。
「あ、これ? なんかお店でキャンペーンやってたみたいで、くじ引いたら当たっちゃって。みんなで食べようよ。どうせうちに帰る頃には全部溶けちゃうしさ」
 自動ドアをくぐりながら困ったように笑う康一は、言葉のとおりにアイスの箱をその場でぺりぺり開け始める。で、遠慮のいらない仲でもある俺と仗助は、ありがたくその申し出を受けることにした。外は暑すぎて、アイスクリームの誘惑から逃れられるはずもなかった。
「マジ!? いいのかよ?」
「あんがとなー」
 康一はスプーンを五本、もらってきていた。花京院のぶんも入っている。
「花京院さんも、よかったらどうぞ。何味がいい?」
 康一が花京院に話しかけるのは、まるでずっと前からの友達にするのと同じだった。
「え、あ、ありがとう……」
 問答無用で引き込まれた花京院は、やっぱりどうにも子供か動物のようで世話を焼きたくなってしまう。俺は康一の手元を覗き込んだ。
「おお、そうだな。レディーファーストだもんな。どれにするよ? バニラとイチゴとチョコか〜悩むよなあ〜」
 おれが袋に手を突っ込んでがさごそやりだすと、由花子のやつが渋い顔をする。
「あんたが選んでどうするのよ」
「選んでんじゃねえよ取ってあげてんだよ」
「なんでもいいから早くしろよ〜溶けるだろ〜」
 仗助がめんどくさそうに頭の後ろで手を組んでいる。康一は、笑っていた。
「あの、わたし、残ったのでいいから……あ、えと、ありがとう……」
 まだ遠慮している花京院は差し出された三つから、バニラ味を選んだ。
 なんだよ、みんなやっぱり友達なんじゃねえか。俺はチョコレート味のカップを剥がしながらそんなことを考えていた。オーソンの外で暑い暑いといいながら食べるアイスは妙に美味かった。ボリスも暑そうにしてたけど、康一が言うには犬はアイスを食べちゃいけないらしい。俺はそのときばかりはボリス、いや、犬という生き物に同情してしまった。こんなに美味いものを食べられないなんて!
 空が青い。六月がもうすぐ終わる、今日みたいに晴れた日は珍しいなと思った。
 由花子は自分だけ日陰に逃げ込み、スプーンを咥えたままぼさっと座り込んでいる仗助の横で康一と花京院がボリスを挟んで飼い犬の話をしている。花京院の飼っている犬はボーダーコリーという種類で、爺さんがつけた名前は「ひゅうが」。強そうな名前だなって言ったら、花京院のひいじいさんが同じ名前の船に乗ってたらしい。
 きっと名付け親の爺さんは、親父が乗ってた船が何よりかっこよく見えたんだろうな。
 そう言うと、花京院は感心したような顔で何度かうなずいていた。
「そうかもしれない。おじいちゃん、ひいおじいちゃんの写真、今でもきれいに飾ってるから」
 花京院の家には、格好良く軍服を着こなしたひい爺さんの写真が今でも飾られているんだそうだ。もしかしてちょっと湿っぽい話題になってしまったんだろうか、と、おれが言葉に詰まると、
「あ、ひいおじいちゃんはね、五年前に亡くなったの」
 花京院は小さな手をふるふると振って笑った。そうか、戦死とか、そういうんじゃないのか。
 素朴な笑顔に、気を遣わなくても大丈夫だから、と言われているような気がした。
 上空をヘリが飛んでいく。康一や仗助が珍しそうに見上げる横で、花京院も同じように空を見上げていた。なんとなく同じことをする気にはなれなくて、おれは地面に目を落とす。くっきりとした五人分の影。どうしてそう思ったのかわからないまま、夏だな、なんてことを思っていた。
「軍艦かぁ。海ってさ、いいよな」
 仗助がそう呟くと、花京院はしみじみとうなずいた。
「そうだね。海、いいね」
 おれはどっちかって言うと飛行機のほうがいい。なんてことは、思っても口に出さないことにした。昔、兄貴と親父と模型飛行機を作って遊んだことを思い出して、おれは少し、ほんの少しだけ、鼻の奥がつんとしたような感じを覚えた。
 上空のヘリは、大きな音だけを残して飛び去る。
 一つだけ残ったバニラ味はどろどろに溶けてしまっていた。