花京院千夏のみる夢(5)

 とんでけ、とびうおの軍団。
 紙飛行機を飛ばすように腕を振りおろすと、死んだ目のさかなたちが一斉に空へ羽ばたいてゆく。数えられることを強く拒否するほどの大群がドームの上部へと襲い掛かる。わたしはそれを見ない。見なくてもビジョンは理解できる。でも、とびうおたちが飛行機を全部落としてくれるかどうかは、わからない。
――突然とびうおが食べたいだとか、アンタほんと時々わけわかんないわねえ。
 お腹をするすると撫でてみる。お刺身にしたとびうおはあんまり美味しくなかった。初めて自分で魚を捌いたけれど、両手が生臭くなるばかりでちっともうまくできなかった。
――おいしい? そう。なら五島のおばあちゃんに電話しときなさいよ。千夏が食べたいって言ってたからわざわざ送ってくれたんだから。
 わたしの肉となれ、わたしの血となれ。そしてわたしの、力となれ。
 立ち向かうことはとても怖い。受け入れるのがとても怖い。だからすべてを食いつくし、何もなかったことにしたい。そしてわたしはこの場所を守る。頭上で旋回し続ける爆撃機を排除し、永遠を夢見続ける。
 目を閉じたまま、見上げる。とびうおは白い爆撃機の群れを、食い尽くせるだろうか――それともわたしの知らないわたしが、わたしがしたようにとびうおを食べてしまうんだろうか。見たこともないくらいに大きくなったわたしが、飛んでいくとびうおに向かって口を開いて待ち構えている。そんなイメージすら浮かんだ。

 目を閉じる。
 わたしは夢を見る。
 夢の中で、プリズム輝く二重の夢を見ている。

 乗り物の揺れは心地いい。
 七人掛けの座席が向かい合ったまま橋を渡っていく。鉄橋の上を通るときだけ、この箱はとてもうるさくなる。
 電車の揺れは心地いい。
 隣に座った知らない誰かの肩に、もたれてしまいたいのを堪えて眠る。
 思い出すのはいつも同じことのようだし、こんなことを思い出すのははじめてのような気もする。過去も未来も今もすべてが同じ瞬間に輝いている。光の粒が何もかもを包み込み、目を開けることは二度とかなわない。

 わたしは夢を見る。夢の中で、プリズム輝く二重の夢を見ている。もう何も、聞こえない。

――千夏、もうその服は捨てなさい。

 お父さん、ごめんなさい。それだけはできないの。

 (できないことはいつか絶対にしなければいけない。そうしないと、ずっとできないままでしかいられないのだから。)

――千夏ちゃん、いつまでもそれ着てくれてるのね。

 おばさん、わたしだけは絶対に忘れたくないの。

 (わたしたちだって忘れていない。いつまでも覚えている。人の心を甘く見てはいけないよ。)

――なぁ、なんでそれ着てるんだ?

 だってこれまでなくなったら、お兄ちゃんが本当に、いなくなってしまうから。東方君にはわからないでしょう?

 (人が死んでも何もかもがなくなっても、誰かはきっと“そこ”にいる。信じているよ、それが正しいことだと。)

――おばさん、おじさん。わたし、お兄ちゃんが着てた服、この服が欲しい。

 そうすればずっと一緒にいられるでしょう?
 誰が忘れても、わたしだけは忘れずにいられるでしょう?
 どうして、いけないことなの?

「千夏ちゃん、これはもう、いらないよ」

 目を覚ます。電車はまだ走り続けている。橋をわたって知らない街へ行く途中。
 どこまでもどこまでも続いている長い橋の途中、わたしの隣にはもう誰もいなかった。
 わたしは知っている。どこへ向かっているのか、ずっと昔から知っていた。

 わたしは夢を見る。夢の中で、プリズム輝く二重の夢を見ている。二重の夢から覚めたとき、きっとすべてが終わってしまう。

 さっきまで凭れていたやさしい肩は、どこにもいなかった。
 揺れる電車の中に取り残されて、わたしは迷子の子供のように泣き出したくなる。
 一人っきりになってしまった。あの人が死んでしまって、わたしは一人になってしまった。これからわたしは一人で、がらんどうの電車に乗って旅をしなければならない。
 どうして置いていってしまったの?
 (どうして置いていかれたなんて思うの?)
 わたしはあれからずっと泣いていないのに。
 (誰が泣いてはいけないと言ったの?)
 ずっと子供のままでいられないの?
 (あなたは大人になることの意味を、まだ知らないの)

 ずっと忘れずにいようと誓ったのに、わたしの、大切な――

――ごめんね。君を、一人にしてしまう。本当に、ごめん。

 羽のような軽さで、それはわたしの頭を撫でていった。
 わたしはずっと逃げていた。わたしはずっと、何も知らないふりをしていた。
 永遠のさようならをしなければならない。十年間のかくれんぼは、もう終わりだ。

 そして目を覚ます。夏の朝がカーテンを揺らす。わたしはもう、何もかもを知っている。

「おにいちゃん……」