空条承太郎(2)

 今日の杜王グランドホテルのロビーは騒々しい。
 とはいえ緊迫した様子もなければ事件性もない。ロビーを占めている集団は、年配の、おおむね男性がほとんどだった。人波の合間に大学生くらいの男女も数人見受けられるが、いずれも正装に身を包んでいる。結婚式にしては年齢構成も男女比も奇妙だ。そのほかにこの光景から思いつきそうなことといえば学会くらいだと思ったが、まさかホテルでそんなことはしないだろう。
 ルームクリーニングに部屋を追い出された(と言ってももちろん、おれの自発的な行動だ)おれは、ロビーのラウンジでのんびりとコーヒーを飲みながら、一体何の騒ぎかと様子を伺っていた。考え事というほどのことでもないことをぼんやり考えていると、不意に背後から呼びかけられる。
「おや、承太郎さんじゃないですか」
 声をかけたのは岸辺露伴だった。まさかとは思ったが、振り返った先の彼もまた、見慣れぬスーツに身を包んでいる。きちんとネクタイを締めた姿がどうにも似合わないと思ってしまうのは、彼の自由気ままな性格をよく知っているからだろう。
「ああ」
 色々な感情をこめた返答をすると、露伴は一応一言断りを入れて向かいのソファに腰を下ろした。いささか強引な振る舞いだったが、別にとがめる気も起きないし、咎めたところでこの男相手には徒労に過ぎないだろう。
「なんの騒ぎだって顔してますね」
 そんなに顔に出ていただろうか。おれは平然としているつもりだったし、どちらかというと露伴のほうが浮き足立っている気がしないでもない。
「祝賀会ですよ」
 出版社か何かの催しなのかと尋ねると、そうではないと彼は笑う。それもそうだろうなと思った。露伴が臨席するのなら出版社関係かと思ったのだが、それなら東京でやるに違いない。ついでに言うなら、そういう「付き合い」を疎ましく思うに違いない露伴がここまで楽しそうならば、なおのこと仕事関係の何かとは思えない。偏屈な漫画家は訪ねもしないのに口を開いた。
「ぼくは少し前から郷土史に手を出してましてね」
「郷土史……?」
「ええ。杜王町だけじゃない。M県近辺の民俗史なんかをね、ちょっと追いかけてみたりしてるんです」
「ほう」
 意外な興味だと思えた。
「S市内の大学でその道の権威とも言われた教授の退官講義に参加してきたところなんですよ。いや、実に興味深かった、なにしろ、」
「つまり、」
 長話を繰り広げられそうだったので、遮る。
「その教授の、退官の祝賀会がここで?」
「まあ、そういうことです。おっと、じゃあそろそろぼくは行きます」
 上機嫌の露伴は軽やかな足取りでロビーを突っ切り、エレベーターのほうへと立ち去った。入れ違いに、物腰の柔らかなボーイが電話の子機を携えておれの元へ近づいてくる。
「空条様」
 さすがに長期滞在していれば顔も名前も覚えられている。ボーイは子機をおれのほうへ向けて小声で告げた。
「東方仗助様よりお電話です」
「ああ、わかった」
 一体仗助がどういう用事なのか知らないが、わざわざホテルまでかけてくるのだからどうでもいいことではないだろう。
 ため息混じりに受話器を受け取るおれの視界に、どこかでみたような少女の姿が入り込む。
「あのう、すみません」
 立ち去ろうとするボーイを呼び止める彼女から視線を逸らしつつ、通話ボタンを押す。
「どうした、仗助」
『突然すいません承太郎さん。たいしたことじゃねーかもしんねーすけど、ちょっと気になることがあって』
「何かあったのか」
 それにしては妙にのんびりとした口調の少年を訝しく思う。傍らでは黒いワンピースの少女が遠慮がちな申し出をしていた。むき出しの肩がいやに寒々しい。
「このホテルにいる人に、渡してもらいたいものがあるんです」
 ゆるやかなフレアーの、膝に少しかかる裾が揺れた。風に吹かれて翻るカーテンのようだと思った。
『あれ、えーと、おれ、これ誰から聞いたっけ……まあいいや、とにかく、言うでしょ? スタンド使いはスタンド使いとひかれあうって。なんかこう、スタンド使いじゃねーかなって思う子がいるんスよ』
 仗助はどこか歯切れが悪いように思える。良くも悪くもわかりやすい性格の仗助にしてはめずらしい。
「“思う”? 会ったのか?」
『会ったって言えば会いました……っつーか、何回も会ってるんすけど。最初は、高校に入学してすぐだったかな〜』
「同じ学校なのか?」
『そうっス』
 仗助からこれまでに聞いた話でも、同じ学校にスタンド使いが数人いたと記憶している。ここにきて新たな刺客が現れるというのも考えられなくはないが、また高校生というのは吉良の父親の手口としてはお粗末な感がしないでもない。それに、何度も会っていながら仗助たちに危害を与えないどころか、「かもしれない」程度の印象しか与えないのもおかしな話だ。
「今日ここで祝賀パーティーがあってると思うんですけど」
 少女は引き続きボーイを問い詰めていた。おれは耳に入ってしまう会話を聞かないように気を配りつつも、そういう会話はフロントのほうでやってはくれまいかと些かうんざりし始めていた。
 二人に背を向けるようにしてソファに座りなおし、もう一度仗助に問う。
「なんでまた、スタンド使いだと思うんだ?」
『や、それが、ややこしい話なんスけど、あの子、おれだけじゃなくて康一とか億泰とか由花子とかとも面識あって。あ、億泰は違うかな……やーでも……』
「……同じ学校なら当然じゃないのか?」
 なにやらぶつぶつ言っているのを遮ると、仗助は自信たっぷりにおれの言葉を否定する。
『いやー、あの子、そういう、社交的っていうか、友達多そうな性格には思えねえっスもん』
「考えすぎじゃないのか?」
『あー! 承太郎さんまでそう言う……おれの勘信じてくださいよ〜』
 何が勘だと笑いたくなった。が、確かに仗助の言うことがまるっきり荒唐無稽だとは思えなくもある。
 仕方がない。実害を受けているわけでもないからおれが動くことはしないが、最低限の情報を聞いて財団のほうへ投げてやってもいいだろう。
 内ポケットから手帳とボールペンを取り出しつつ口を開こうとすると、脇で繰り広げられている会話に耳を奪われた。
「ご滞在のお客様のお名前はご存知ですか?」
「はい、あの、花京院って言います」
「花京院、様、ああ! 花京院教授、祝賀会ですね?」
「あ、はい。祖父が、忘れ物をしてしまって」

 花京院……?

 フラッシュバックするように思い浮かんだ光景は、砂漠の旅路だった。寝袋を並べた冷たい大地を、中東の星々が照らしている。月は静かに浮かんでいた。つぶれた楕円のような月だった。
 祖父が何かを言い、花京院とポルナレフが声を上げて笑う。おれはいい加減眠たくてうんざりしていたし、アヴドゥルは穏やかな笑顔のまま、木切れを使って焚火をかき混ぜていた。
 会話が途絶えた一瞬、口を開いたのは花京院だった。暖を求めるように手のひらを炎にかざす姿は、遠い昔をその中に見出しているようにも見えた。

――どうしてだろう、ジョースターさんを見ていると大叔父のことを思い出すな。M県の大学で教鞭を執っているんだけど、ユーモアにあふれる人でね……
――へぇ? どんなことを研究してるんだ?
――民俗学とか、地方に伝わる伝承とか、そういうのだったと思うけど。
――ほう、それは興味深い。一度お会いしてみたいものだな。
 アヴドゥルが珍しく、言葉通りに興味を惹かれた顔をしていた。おれは口をあけてあくびをする。
 あの日々を思い出すと砂漠の乾ききった空気がまとわりつくようで、反射的に眠くなりそうだった。

『ちょっと承太郎さん、聞いてます?』

 仗助の声が遠い。

「お客様はご家族様ですか?」
「はい。孫です」

 橙色に照り返されたそれぞれの顔を今でも覚えている。その日の花京院が珍しく饒舌だったことも。
 眠りにつく前の安穏の中で、炎を挟んで友人たちは談笑していた。陽炎のようなその光景が、今も頭の中でゆらめいている。

――でも大叔父の孫は、ええと、なんていうんですっけ? またいとこ?
――はとこ、じゃないか? いや、同じか。
――まあ、なんでもいいか。その子はすごくおとなしくて、ちょっと引っ込み思案で……女の子だし心配なんだよなあ。
――女の子? お前のはとこなら、同い年くらい? 日本の女子高生かぁ。
――ポルナレフ……期待しているのかもしれないけど、まだ五歳だよ。

『名前だけでも聞いてくださいよぉ。知ってる名前かもしれないっしょ? あの子、花京院千夏って言うんですけど』

「では恐れ入りますが、念のためお名前を――」
「チカ、です。花京院、千夏……」

――何が心配なんじゃ?
――ええ、千夏ちゃん……彼女も、スタンド使いなんです。

『承太郎さん? もしもし?』

――ねぇ承太郎、もし僕に何かがあったら、彼女のことをお願いしても、いいだろうか。あの子が巻き込まれないように、悲しい思いをしないで済むように……