Crepuscule



13

「いいじゃない、せっかく馴染んでるし。ガトーが妙なことするとは思えないし」

モーラはコーヒーカップで冷えた手を温めながらにこやかにそう語った。それがにこやかに見えないのは、隣に座って一言もしゃべらないキースだけである。

「え、だって、迷惑だし、そんな……」

しどろもどろに反論するジェーンも言っておきながら同居生活を嫌がっているようには見えない。本心からガトーにかける迷惑を心配しているのだろう。けなげだなあ、とキースは普段から思っていることを改めて実感する。一方ガトーはというと、大きな手で頬杖をついているため表情は読み取れないが、拒絶しない彼も同居生活がまんざらではないと思われる。

「迷惑になるようなことしてるの?」
「違うけど……」
「だったらいいじゃない!それにアンタも仕事が始まればどのみち、店にいる時間のほうが長いんだから」
「……でも、」
「俺は、かまわないが……」

口を挟んだのはガトーだった。どうにもこうにも否定されているような会話が嫌なのか、それとも別の意図を含んだ発言かわからないが、ジェーンを慌てさせるのには十分すぎる内容だった。

「あら、じゃあ決定ね」
「ちょっ、モーラ……」
「はいこれお土産。こっちがジェーンでこっちが……」

こういうとき、えてして当事者のジェーンに決定権は無い。キースはそれを憐れみながらも、きっと同居の継続はジェーンもガトーも望んでいたことだと予想はつくから、なんともいえない笑みを浮かべて当事者を見守ることにした。モーラには、ただただ敬服するばかり。

「……このワインすっごくおいしいのよ、今度飲んでみて」
「あ、そのときはこのチーズも一緒に食べて」
「……よくこんなに買ってきたね」
「冷蔵庫に入らないぞ」

紙袋からはどんどんお土産が出現する。モーラお墨付きのワインは3つもあるし、キースが差し出すチーズは到底二人で食べきれそうな量ではない。ジェーンとガトーが呆然としている間にも次から次にいろんなものが現れる。チョコレート、焼き菓子、ハムやソーセージ、食べ物ばかりなのは気のせいではない。

「そうそう!これね、ジェーンに着せたら絶対可愛いと思って買ったのよ!」
「え?何々??」

会話の内容から、それが服だろうということぐらいはガトーにも想像がつく。服ときて喜ぶジェーンを見ていると、
やっぱり“女の子”、なんだなと微笑ましい。
モーラが“それ”を取り出すまでは、ガトーは成り行きを静観していた。

「じゃーん!ね、可愛いでしょ?」

モーラが取り出したのは、これでもかというぐらいにフリルのついたネグリジェ。ふっくらとしたパフスリーブにも大きく開いた首周りにも贅沢にフリルとレースが施されて、高い位置で絞られたウエストから裾に向かって細かくプリーツが入っている。白地にあわせたウエストのサテンリボンは後ろで結べるようになっていて、ピンクのフリルやレースとあわせて“どうみてもお姫様”な仕上がりになっている。

「可愛い!!やだすっごく嬉しい!ありがとうモーラ!」

それで喜ぶあたり、ほとほと女というものが理解できない。ガトーは同じ性別のキースを見ると、彼はどちらかというと女性陣と同意見らしく、ニコニコ笑って「絶対かわいいよ」などとのたまっている。期待が裏切られてガトーはがっくりと肩を落した。まあ、可愛らしいのだろうなとは思うが……。

「あ、これもあわせて着てね。ちょっと派手だけど意外性もあって似合うと思うわ」
「どれどれ?……って……モーラ……」
「いいでしょ?」
「派手っていうより……これ」
「いいじゃない、似合うと思うけど?ね、ガトー?」

モーラが次に紙袋から取り出し、ガトーの方に向かって掲げたのは、向こう側が透けて見えそうなベビードールと極端に布の面積が少ないショーツ、おそろいのガーターベルトだった。
もしガトーがそのときコーヒーを口にしていたら、今度こそ彼は口の中の液体を一滴残さずぶちまけていただろう。かろうじてその悲劇から逃れた彼は、これ以上ない速さで視線を逸らすことにとりあえず成功した。

「なんで俺に聞くんだ」

もはや肩を落すだけで済むレベルの話ではない。彼は思わず顔を覆った。まじまじとそれを見ることなく視線を逸らしたガトーに代わって説明すると、それはモーラの言う「派手」という評価には程遠いと言うか、その評価は的外れもいいところだった。
ベビードールはワイヤーの入っている胸の谷間部分から裾まで大きくスリットが入り、体の前面が大きく見えてしまう。と言っても、オーガンジーのように透けている素材ではスリットが入っていようがいまいが見えてしまうことは明らかで。ショーツは布面積が極端に狭いことに加えて、サイドは細い紐で結ばれている。そのリボンが、おそろいのガーターベルトにも使われていた。モーラは続けてストッキングを取り出すが、白いベビードールと対照的な真っ黒のものだった。

「可愛いんだから、ちゃんと見てよ、ガトー」
「も、モーラ……ガトーさん困ってる……」
「いやーこれ着たらやばいよ、ジェーン」
「キースまで!」

当の本人であるジェーンまで顔を真っ赤にして二人に食いかかっているが、モーラとキースは「冗談よ」と軽く笑ってその場を収めた。
まだ納得できないようなジェーンだったが、これ以上この下着一式に関して話をこじれさせたくないので、一通りの謝辞だけ述べると、丁寧にたたんで紙袋の中へしまった。

「これはガトーに」
「ん?あ、ああ。ありがとう」

まだ落ち着かないガトーはモーラの声に顔を上げた。どこか憔悴したような顔に、なぜかほつれた前髪が掛かっていた。モーラが差し出したのは小ぶりの箱で、開けてみるとカフスボタンが入っていた。深い青の石が四角くカットされ、控えめに輝いている。台座は銀色、ガトーの趣味にあうものだった。こういうセンスはいいのに、なんでまた、ジェーンには下着なんかを買ってきたのか。

「ジェーンにもアクセサリーなんかを買ってくればよかったのに」
「無難すぎるじゃない」
「……無難であることのどこがいけないんだ」

そういう思考がよくわからない。箱を閉じてガトーは追求するのをやめた。したところでわかりそうにもなかった。コーヒーメーカーに新しいフィルターをセットして、彼は4人分のコーヒーを再び用意した。

お土産のチョコレートや焼き菓子をつまみながら、モーラとキースが土産話を、ジェーンがバニングの話をしているうちに、時刻は22時に近づいていた。話すことはまだあったけれど、モーラたち二人は帰り支度を始めた。玄関のドアを開けてみれば、雨はまだその勢いをとめていない。モーラは傘を手に取りながら、あ、と声に出して何かを思いついた。

「ジェーン、明日お店に来てくれる?」
「うん?いいけど?」
「お店は開けないけど、一週間も経ってるから食材の買出しと仕込みをやらないとね」
「あ、そうだね。ごめんね、私が鍵を忘れなきゃやっといたのに」
「いいのよ、たまにはジェーンもゆっくりしなきゃ。ま、色々ありすぎてゆっくりもできなかっただろうけど」

玄関先に送りに来たジェーンに、モーラが苦笑しながら言った。確かに色々ありはしたけれど、仕事の無い一週間でだいぶ骨休めできたと思う。食事作りはあったけれど、それも普段自分がやっていることの延長線なのでさしたる負担ではない。

「あ、それからガトー」

モーラはガトーに手招きをした。ジェーンは察してその場を離れ、キースと話し込んだ。

「ジェーン、気づいてる?」
「何が?」

いたずらっぽい笑みを浮かべて、キースがジェーンに耳打ちした。別に小声で話さずともガトーとモーラはこちらに意識を向けていないように見えるが。

「ガトーさんの一人称、“俺”になってるって」
「あ……そうだね」

言われてみれば、ガトーは普段“私”と言っていた。ここ数日の間で耳馴れたせいかどうかはわからないが、違和感は覚えていなかった。けれどそれにどういう意味があるのだろう。

「きっと、ジェーンが思ってるよりガトーさんは君のことを親しい人間だと思ってるはずだよ」

たずねると、キースはそう言って微笑んだ。そういうものだろうか。ただ単に、家の中でくつろいでいるからだと思うけれど。ジェーンは要領を得ない顔で首をかしげた。

「ま、自信持って!あのベビードールが活躍する日を期待してるよ」
「えっ……キース!!」

冗談とは思えないような口調で言われたジェーンはこの日何度目かわからないが、顔を真っ赤にしてキースの肩を叩いた。

「何やってんの、帰るわよキース」
「はいはい、じゃあなジェーン!ガトーさん、コーヒーご馳走様」
「ああ、気をつけて」

二人がエレベーターに乗り込んだ後、ジェーンとガトーは部屋の中に戻った。

「ね、何話してたの?」
「……たいしたことじゃない」

どこかそっけない。あまり立ち入られたくない話もあるのだろう。急に態度が変わったガトーに戸惑いを感じながらも、ジェーンは遅めの夕食を作りに掛かった。お土産のチーズを使ったものを作ろうとあれこれ思案している後ろでは、ガトーが防音室へ消えていくのが、閉ざされるドアの音で確認できた。

「どうしたんだろう……」



ジェーンが訝しんでいるだろうことはガトーにも想像ができたけれど、彼は額に手を当てて考え込んでいた。防音室は激しい雨の音も入り込まない。ガトーは二重になった窓を開け、何をするでもなくぼんやりと、降りしきる雨を眺めた。
モーラの言葉を思い返していた。

『あたしはアンタ達が幸せになってくれれば、それでいいのよ』
『……余計な』
『余計なお世話かもしれないけど!……別にくっつけなんて言ってないじゃない、けどね』
『……けど?』
『あの子、ジェーンと会ったのも、こんな雨の夜だったわ。あの子、小さな傘をさして泣きながら歩いてた。持ち物もろくになくて、ほっとけなくて店の中に入れて…………いえ、もう昔のことだからいいわね、とにかくあの子には幸せになって欲しいのよ』
『…………そうか』
『ええ。それから、これも言っとかなきゃいけない』
『なんだ?』


『ニナがこの街に来てる』

20080330