Crepuscule



15

チャック・キースは思った。

『入る余地がないというか……』

【旅行のため一週間閉店】の貼り紙をドアに残したままながら、Caffe Crepusculeの中には3つの人影がある。店主のモーラ、その恋人のキース、そしてアルバイトのジェーン。一週間前のままの冷蔵庫に残された食材を全部捨てて、店員二人は下ごしらえやらなにやらで忙しい。対照的に、キースはカウンターでぼんやりしている。ただ、彼は意図してそうしているのではなく、女性陣の会話に口を挟みづらいがために暇を弄んでいた。

「ふんっ……だいたいっ……なんで……貸したっ……本に」

ジェーンは独り言なのか二人に訴えているのか、会話の合間もぶつくさ文句ばかり言っている。言葉が途切れ途切れなのは、ポテトサラダに使う茹でたジャガイモをポテトマッシャーで潰しているから。無駄な力がこもっているため、いつもどおりに潰すのと同じくらい時間が掛かっている。不毛だ。

「写真が……はあ……入ってんのよっ!」
「どーせ何かの拍子にはさんだのを忘れてたんでしょうが。気にすることないわよ」

モーラは自家製ドレッシングを泡立て器でかき混ぜながら意に介さず言葉を返した。それでもジェーンは納得せず、というよりむしろ納得したくないのかジャガイモで鬱憤を晴らしている。

「そりゃ別に……私はガトーさんの恋人でもなんでもないけど……さすがに……」
「さすがに?」
「あんなもの見たくは……」

ジャガイモを潰し終えて、ジェーンはサラダの材料をボウルに流しいれた。マヨネーズと調味料を加えながら大きくため息をつく。

「男ってそんなもんよ」
「え?」
「捨てられないから、そういうの。別に意識して残してたわけじゃないだろうけど、残ってた理由はそうだと思うわ」
「なーんかやな感じ」

『口を挟みづらいというか、こっちに飛び火して欲しくないというか……』

キースはそう願っていた。カップの中のコーヒーはすでになく、おかわりを頼みたいが変に話に巻き込まれたくない。
モーラの言うことは的を射ているかもしれない。『男は染めるもの、女は染まるもの』、だから男は自分が染めた存在を忘れず、女はさっさと染まっていく。そう言ってたのは誰だったか……雑誌かな?

「そういうもんなの?キース?」

スパチュラでサラダをかき混ぜるジェーンがカウンター越しにキースにたずねる。予想はしていたがなんとも返事のしづらい質問だった。

「さあ……」

生返事を返すとジェーンはむっとして「そういうことみたいね」と一人結論付けた。苦笑いを浮かべながらコーヒーカップを差し出すと、見えないかのようにそっぽを向かれてしまった。機嫌を損ねたらしい。

「そういうもんよ。それも認めてやるのがいい女ってもんでしょ」

モーラはキースのカップにコーヒーを注いでやった。さすが年長者の余裕は違うな、と納得してしまう。もちろんそれは恋人であるゆえにフィルターがかかっているのだろうが。熱いコーヒーをすすりながら、キースはそれでもジェーンの恋がうまく行けばいいのにと願ってはいた。カウンターの中でサラダをかき混ぜる姿を微笑みながら見ていると、ふと目があった。

「何よ」
「え?あ、なんでもないよ」
「暇なら手伝いなさいよ」
「ダメダメ!キースは料理、からっきしダメなんだから!」

モーラが手を振りながら笑った。ドレッシングをかき混ぜるのに疲れたからか、ただ会話の内容にあわせただけなのかはわからない。

「あー、うん。そんな感じする」
「悪かったな……」

さもかわいそうにジェーンはキースを見つめた。口元には軽く笑みが浮かんでいる。哀れなキースには、モーラによって更なる追い討ちがかけられた。

「ただ料理が出来ないだけならまだいいのに、薄力粉と強力粉間違えて買ってくるんだから!」
「うっわ、キースそれ本当?パンでも焼くつもりだったの?」
「……料理上手の彼女がいれば苦労しないんだから別にいいだろ」

ジェーンは先程の復讐をしようと思いキースをからかったのに、惚気を聞かされて諦めた。これ以上何か言うのをやめて、サラダを一口味見すると、どうも塩気が足りないように思う。スパイスラックの塩のビンの中身は、モーラの作るドレッシングに使われていた。
仕方なく、ジェーンは戸棚の中から袋を出そうとするが、あるべき場所に塩が無い。

「モーラ、塩がないよ」
「あらやだ、買い忘れたのかしら……困ったわね」

店員二人が困っているのを見たキースが嬉々として手を上げた。

「あ、じゃあ俺が買ってくる」
「小麦粉間違えるキースには任せらんないよ」

あっさりとジェーンに却下されてしまった。

「いくらなんでも塩を間違えるわけないだろ……」
「銘柄とかあるのよ」

モーラは苦笑しながらエプロンを外している。彼女が買い出しに行くのだろうか。ジェーンは自分が行くといっているが、普段使っている塩は3キロ単位でしか販売していない珍しいものらしい。戸棚の中の料理酒も薄力粉も少なくなっているし重いものを買うのなら車を運転できるモーラが行くのにも納得できる。

「私も免許取ろうかなあ……」
「ぷっ……ジェーンってとろくさそうだよね」
「…………モーラ!薄力粉も少なくなってるみたい!」
「いい加減それ引っ張るのやめて……」

ジェーンとキースの普段の会話の内容はこんな風に軽口を叩きあうようなもので、それができるのだから少しは元気を取り戻したのだろう。ジェーンは裏口から出て行くモーラを見送り、とりあえず作りかけのサラダを冷蔵庫に入れた。

「元気でた?」
「へっ?」

サラダを入れ、立ち上がったジェーンはキースの言葉に素っ頓狂な声を上げた。しばらくして言葉の意味に気づき、元気付けようとしてくれていたキースの心遣いに感謝した。

「ありがとう……」
「元気で、明るいジェーンが、らしいと思うよ」

キースも照れくさそうにコーヒーをかき混ぜている。

「きっとガトーさんもそう思ってるんじゃないかな」

付け加えたようにキースが口にすると、ジェーンは傍目にもわかるくらい動揺して、片付けていたポテトマッシャーを床に落してしまった。顔を真っ赤にしながらしゃがみこんで拾い、立ち上がるとキースはニヤニヤしながらジェーンを見ている。

「好きなんでしょ?」
「ちがっ!な、なんでそうなるのよ!」
「いや、否定してもバレバレだって。慌てすぎ」
「き、キースがそんな根拠もないこと言うからでしょ!絶っ対違うんだから!!」
「ふぅん……モーラも言ってるけどね。違うんなら、いいや」

キースは上辺だけ納得したようにして、トイレ借りるよと言い残してカウンターから立ち去っていった。残されたジェーンは『バレバレ』だの『モーラも言ってる』だの、キースの言葉を思い返しながら落したポテトマッシャーを洗った。

「気づいてるわけない!……モーラはともかくキースにわかるはずない!」

ポテトマッシャーをぶんぶん振り回して水気を切り、自分の背面にあるフックにかけようとしたとき、店の扉が開く音が聞こえた。モーラは裏から帰って来るはずだし、第一こんなに早く帰るわけが無い。張り紙に気づかなかった客だろうと思い、ジェーンはめんどくさそうに振り返りながら告げた。

「ごめんなさい、今日はランチやってないん……」

言葉は途中で消えた。不自然に体が震えなかっただろうかと心配するくらい動揺していたし、心臓がものすごい速さで脈打ちだすのがわかった。

「あ、違うんです……。あの、モーラ、いますか?」

見たことのある金髪と青い瞳。初めて聞く声は優しい響きだった。質問されているのに、答えることすらままならない。今、数メートルの距離を隔ててジェーンの目の前に居るのは、髪の長さや着ている服こそ違えど、あの写真の女性。
言葉を発せないでいるジェーンを不思議に思って、彼女は問いを繰り返した。

「……?あの……モーラは」
ジェーン、トイレの芳香剤切れて――ニナ……さん?」

タイミングがいいのか悪いのか。キースがトイレから帰ってきた。『ニナ』。キースはそう言った。けれどキース自身も驚いている。一方のニナは見知った顔を見つけた嬉しさからか笑顔を浮かべてキースに駆け寄った。

「まあ!久しぶりねキース!」
「え、ええ……お元気そうでなにより……」
「貴方もね。ところで、モーラは……?」
「あ、えっと、あーその彼女、今買い出しに出てて、帰って来るのまだ先だろうからなにか伝言あれば伝えますよ僕!」

慌てふためきながら説明らしからぬ説明をするキースの言葉に、ニナは残念そうに瞼を伏せた。長い睫が影を落すのは、二人から距離のあるジェーンでもわかる。

「そうね……私も仕事が始まるし……。私が来たことだけ伝えてもらっていいかしら?」
「はい!もちろん!」

どうやらうろたえているのはジェーンだけでなくキースも同じらしい。彼にしてみれば先程まで、或いはこの先もジェーンを悩ませる女性がこの場にいるのだからしょうがないといえばしょうがない。扉を開けて出て行くニナを、キースは引きつった笑顔で、ジェーンは呆然として、それぞれ無言で見送った。
バタンと音を立ててドアが閉まると、キースはカウンター席に腰を下ろしてこの日最大のため息をついた。

「はー……心臓が止まるかと思った……あ、そうだジェーン、トイレの……」

胸をなでおろし、芳香剤のことを改めて話そうとジェーンのほうを向いたキースはその尋常でない様子にギョッとしたのを隠せなかった。

「……ジェーン?」
「勝ち目ない…………」




「……というわけ」
「“というわけ”じゃないわよっ!仕事しなさいジェーン!」

今日は厄日だ。キースは天を仰いでまたため息をついた。
買出しから帰ったモーラが目にしたのはジャガイモを一心不乱に潰すジェーン……ではなく、それならまだ救いがあるのだが、ジェーンはカウンターに突っ伏したまま微動だにせず、動いているのはなんとかして彼女を立ち直らせようとするキースの姿だけだった。驚いてキースに事情を聞いたモーラはジェーンの肩を揺さぶってみるが、反応なし。

「無理だって。俺もさっきからかんばってるけど全然ダメ」
「諦めてるんじゃないわよ!アンタもよ!ジェーン!?」

無理矢理起こそうとしても、ジェーン自身にその気がない上に背中に力を入れて体を固定しているものだから歯が立たない。「ほんと美人」だの「勝ち目ない」だのジェーンのネガティブ発言が余計に癇に障る。

「……もういいわ。帰んなさい」

諦めたモーラは乱れた髪を直しながらジェーンに告げた。しかし帰ってきた返事は

「やだ。あの家にかえ……行きたくない」

駄々をこねる子供のようにジェーンは返事をした。キースはため息を、モーラは少し動揺してから「どうするのよ」と問いを続けた。

「モーラの家に行く。今日から」
「はぁ?どうすんのよ食事係」
「しらない」

頑なにそれだけ言うと、ジェーンは石のように黙り込んでしまった。

「厄日だわ」
「厄日だ」

聞こえるのは、モーラとキースのユニゾンだけ。

20080405